盛岡で鴨せいろ三昧

おはようございます。盛岡のホテルで朝です。

盛岡大好きです。[^^;;

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東家本店(あずまや)岩手県盛岡市

上の写真は昨日の昼食。

後12時半頃行きましたが、お客様が30人位ならんでいました。

そういえば、10年くらい前に行った時も並んでしましたね。

食するのはもちろん鴨せいろ、じゃなくてここはつけ鴨せいろ1080円。

満足な昼食でした。

が、一つだけ残念な報告があります。

鴨はカナダさんとのこと。

我が社の鴨を、とは言いませんがせめて国内産を使ってほしいですね。

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直利庵 (ちょくりあん) 盛岡市

さて、昨日の夜はまたまた凝りもせず鴨せいろ1100円。

鴨は田野畑産。

「田野畑って、何処ですか」との質問に「山の方です」と。

応えになっていませんが、岩手県内の山の方なんでしょうね。

あとで、調べてみよう。

 

あと今日の昼食も鴨せいろの予定。[^^;;

 

花巻と言えばホロホロ鳥

おはようございます。

岩手県は花巻であっさ~~~。

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昨日夕食のはなし。

花巻で鴨せいろを食べようとホテルの170cm美形のフロントさんに「美味しいお蕎麦屋さんは、どこ?」と。

「有名なお蕎麦屋さんは、やぶ屋総本店さんですね」と地図を渡されました。

『鴨せいろ有りますかね』と、聞こうとしてこれはやめました。分かるはずないですから。

 

で、お蕎麦屋さんへ。

入るなり「鴨せいろをお願いします」と、有名なお蕎麦屋さんですから鴨せいろは有る前提で。

「いいえ、ございません」

『??????????????、・・・・』、納得できません。

が、メニューを見ると ほろほろ鶏せいろ950円 とあるので、ここは妥協。

『鴨せいろの方がうまいのに、なんで置かないの』と思いながらも、お腹もすいたし宮澤賢治も食べたということなので、ほろほろ鶏セイロはともかく蕎麦狙いで。

 

驚いた。

味付けが良いのか、ホロホロチョウが美味しいのか。

大いに満足です。

さすがにほろほろと鳴きは、ではなく泣きはしませんでしたが。[^^;;

 

 

理解できないこと

まず原発。

なんでこれに賛成する人がいるのか、理解できません。

 

で、今日はこれ、武器輸出解禁。

ここで武器の定義を調べてみました。

”武器は殺傷、損傷、捕縛、破壊、無力化を元来の目的として攻撃能力を有する道具である。”

武器輸出に対して、なんで?と、言う疑問があります。

だって、いくら考えても理解できません。人殺しの道具ですよ。

しかも防衛庁が取りまとめると言うじゃありませんか。

昔から武器輸出業者は死の商人と言いますが、それを日本政府がやるなんていったいどういうこと。

金がもうかれば何でもアリなのでしょうか。

 

USAが武器を世界中に売っています。

で、その武器が敵方にわたり、自国を攻撃しています。

それがアルカイダだったり、イラクだったり、そしてISでしょ。

 

言い換えると金儲けのために武器を売り、その武器で攻撃されたら、テロのレッテルを貼り自分の武器でやりかえす。

この構図はロシアも同じ。

中国もそれを見習うのだろうと想定できますが、日本もそうやるのかい。

 

誰が考えても、原爆は武器です。

原発稼働の当初は原子力の平和利用と言われていましたが、これも紛争相手に乗っ取っとられたら相手側の武器になるのではありませんか。

その意味でも原発は反対なんです。

 

武器輸出政策は反対ですが、ここで問題です。

パトリオット(※1 最下段)も武器だから輸出入は駄目なの、と言う疑問。

いまは武器に分類されているでしょうから、武器だという答えが返ってきますよね。

でも、これは武器ではありません。

なぜなら、武器とは殺傷、破壊の道具だから。

パトリオットは防弾チョッキと同じですよね。でも防弾チョッキは武器とは言いません。

だとしたら、パトリオットも武器ではありません。

 

このように相手の武器をその役に立たなくする道具を開発し輸出するならok牧場かな。

 

もっとも、手元にある、PCでもiphonでも殺傷目的で使用したら武器になってしまいますが。

でも、最初から武器の目的ではないのでそうはいいません。

 

包丁はどうでしょう。

武器として使えば武器。

ではフライパンは、防弾チョッキと同じかな。

このようにやまほど有るどちらか分からないものは、どう分けるのか。

無気味(武器未定)。[^^;;

 

※1 パトリオットミサイル

以下ウィキペディアからhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%89

擬装したドイツ空軍の発射機
MIM-104 パトリオット(MIM-104 Patriot)は、米レイセオン社がMIM-14 ナイキ・ハーキュリーズの後継としてアメリカ陸軍向けに開発した広域防空用の地対空ミサイルシステムである。ミサイル防衛では終末航程に対応し、20-35kmの範囲を防御する。

湾岸戦争時にイラク軍が発射したスカッドミサイルを撃墜したことにより有名になった。米国のほか、日本を含む同盟国など世界10ヶ国以上で運用されている。

 

 

九死に一生 その4 死に損なったこと

タイトルを変えました、死に損なったこと と。

どうもこの方が妥当だと思うのです。

理由は、九死に一生は外からの力。

死に損なったこととは自分で招いた事象だからと考えました、今回はそのままなので。

 

さて、20歳ころの話しです。

当時農家の農協青年部と言う団体に入っていました。

20歳ですからお酒は飲めます。

私はどちらかと言うと運転手なのでお酒は飲んでいませんでしたが。

 

いつも仲間が集まると、まず赤平で飲み始め、いいころ加減に酔ってから15km離れた滝川へ繰り出します。

ある日、いつものように4台に分乗して滝川へ向かいました。

誰が早く着くかの競争です。

暴走族ではありませんでいしたが、いつも暴走状態。

だいぶ昔のことですから記憶は定かでありませんが160kほど。(たぶん記憶違いでしょうが)

あと5kmで滝川だというとき、2番目を走っていた私のマツダルーチェをトヨタのコロナが追い抜きざま1m前を横切りそのまま左の崖下へ滑り落ちていきました。

しかも、コンクリートのガードレールをかすめながら。

その上、あと10mほどで川です。

後から見たら、スリップ根を1.5倍に広げながらでした。

崖から真っ青になった男女3人が這い上がってきましたが、私はコンマ1秒もなしで巻き込まれたかと思うと、これまた背筋が寒く真っ青だったことでしょう。

たぶん。

当時はいいかげんでした。誰も怪我もしなかったので警察に届けもしませんでした。

 

その日以来、誰もツルンで飲みに行こうとは言い出しませんでした。

この事件はみんなにとって

命のはかなさ、尊さを知った1秒だったのでしょう。[^^;;

 

 

原発廃止

いよいよ統一地方選挙です。

 

北海道は(本当は日本中に)原子力発電は不要です。

万が一にも事故があったら、取り返しが付きません。

もう元に戻ることは無いのです。

 

北海道には三つの問題があります。

一つには原子力発電その物。

泊原発ですね。

次に幌延。

核のゴミ捨て場にしようとする策略。

最後に青森。

プルサーマル原発。

この三つが完全になくなるまで北海道の原発に関連する問題は解決しません。

 

北海道が日本で、そして世界の中で生き残るには、安全で安心できる、そして美味しい食品を生産するからです。

私たちの子孫が、幸せに生きるためにはその美味しい食品を食べて、それを売って生活を成すことなのです。

つまり、今生きる私たちがやらなければならないことは、この美しい安心できる自然を未来の人たちに残すことなのです。

そのための第一歩が原発反対なのです。

 

私はどの組織、政党にも所属しておりません。

ですから私一人に力などたかが知れています。

しかし、子供、孫、その子たちと未来のことを考えると、いま声を出さなければ後悔するような気がするのです。

なんとおおいことか目先のお金につられて子孫の幸せを奪う人たち。

いま食べていけるのに、これ以上何をしようとするのか。何が欲しいのか。

止まって考えよう、未来の子たちの幸せを。

 

ですから誰に入れるか、あ・き・ら・か。[^^;;

 

 

九死に一生 その3

このタイトルで3回目ですから、九死に一生より死に損なったことの方が当たっているかもしれません。

 

今日はバスに敷かれそうになった話しです。

それは高校2年生の時。

私が通う赤平西高校までは2.5kmほどの通学距離。

1年はバス通でしたが、2年になり親に無理に頼み込んで3段切り替えの自転車で通学していました。

 

学校までは自宅から500m下り坂、そのあと500m登って、そこから1.5kmほどだらだらとした下り坂で、100m登って高校です。

で、事件は夏休み前。

その登校中のだらだらとした下り坂は、同じ方向の何台かの自転車が抜きつぬかれつの楽しい時間です。

しかし私は数日前からその一台の1学年先輩に、何かと嫌がらせを受けていました。

問題の日、坂道の中ほど過ぎたバスの停留所の近くで、1個先輩の嫌がらせも頂点でしでした。

先輩のY敷さんは、私の自転車の行く手をふさぐようにみぎひだりと前輪すれすれに何回も横切ります。

で、とうとう私の前輪はそのY敷さんの後輪にとられ、自転車と体ごと左前に投げ出されたのです。

したたか頭を打ったのでしょう、それから半日記憶は無し。

 

数日後に聞いた話を総合すると、自転車ごと転がりながらバスの前輪の前にもぐりこんで行ったとのこと。

急ブレーキをかけたバスの車輪まであと1m。

その時たまたま通りかかった中学校の相原先生に赤平市立病院へ運ばれて治療されたようです。

 

そのあと午後3時ころでしょうか、私は意識がボヤ~っとした中で外でタチションをしている所で意識は戻っていきました。

で、ふと見ると20mほど先で、父と母が畑の草を獲っているのです。

それまで親といえども一度も下半身を露出させのタチションはありません。

後から聞くと、その日は何度もそんな風にタチションをしていたようです。

そんな姿をみた父は『死ぬまでこのままなんだろう』と覚悟を決めたようです。

 

その後遺症か、いまでも雨降りの前になると頭が痛くなります。

 

資金繰りが良くなっても頭が痛いのはこのせいでしょうね。[^^;;

 

追伸

もうY敷さんには何の恨みも持っていません。また、あまり好きでなかった相原先生には心から感謝しています。

あともう一つ。貧乏の中でせっかく新車の自転車(35000円くらい。それは当時の我が家の1ケ月分の生活費でした)を買ってくれたのに、廃車にして両親には申し訳ないことをしました。

 

 

多選反対

3月1日に書いた記事、統一選挙私の選択基準はこれ。

1.原発を止める
2.多選反対
3.若い人
4.官僚出身者は反対
5.みそもくそも一緒の政党連携に反対
6.消費税増税反対

これに加えて、今日はちょっと気になっている話をひとつ。

いよいよ北海道知事選を前に立候補予定の直接対話が始まりました。

ここから北海道新聞 http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/2015local/1-0113250.html

道知事選(26日告示、4月12日投開票)を前に18日に行われた公開討論会は、現職の高橋はるみ氏(61)とフリーキャスター佐藤のりゆき氏(65)にとって、「直接対決」で論戦を繰り広げる格好の舞台となった。高橋氏は佐藤氏の政策の実現性を問い、佐藤氏は4選を目指す高橋氏への多選批判を展開するなど、白熱した議論が展開された。 「道内総生産額を(現在の3倍の)50兆円に増やすと言うが、達成までのロードマップ(行程表)を示してほしい」。高橋氏は、佐藤氏が公約に掲げる数値目標について、実現の時期や方策についてただした。

====ここまで

 

新人は多選批判をする。

これは分かりやすいですよね。

しかし、現職はあれもやったこれもやったと、過去の実績を強調します。

でも、良く考えるとそれって当たり前じゃないですか。

そのやった仕事をするために知事になったのでしょう。

 

子供を育てる親が、「私は親として立派にやりました」なんていうのありますか。

いたとしたら、「おまえ、それって当たり前だろ」と言われるのが落ちです。

 

「私は社長として、これとこれをやりました。頑張っています」って言ったらどういわれるか。

「そんなの社長なら当たり前じゃね」と返されますよ。

 

だいたい、ほとんどの候補者は「あれもやったこれもやった」と言うけれど、この戦略大間違いです。

それより「あれとこれはできませんでした。今度は残したこの仕事をします」と。

この方が説得力があると思うのですが、いかがでしょう。

 

いずれにしても多選は反対です。

でも、何期から多選なのというここも問題です。

私が思うに4期はダメ。だって死期でしょ。[^^;;

 

 

九死に一生 その2

九死に一生の話し、昨日の続きです。

 

今回は小学校4年生の時の話です。

自宅から東へ1km行くと、幅30m深いところで2mほどの小川がいまでもあります。

幌倉川と言うその川は私たち子どもの絶好の遊び場で、夏休みには毎日ドジョウやカジカと戯れていました。

 

我が家は分家で、その川の近くに父の実家の本家があり弟妹従妹達8人の一番の年長者が私です。

そのこじんまりした団体のガキ大将の私は、手下にいいところを見せなければなりません。

これが間違いの始まり。

その川の中ほどまで突き出ていた柳の木に登り、ゆさゆさと大きくゆすぶり『どうだ、俺はすごいだろぉ~』。

他の子たちは、5m(今考えると3mほどかな)下から見上げて『兄ちゃん、カッコイイ~』と、感動していたと、・・・思います。

 

ところがあろうことか、そのヤナギの木は二股から裂けて折れたのです。

今だと分かるのですが柳の木って折れ易いのです。

でも当時はそんな知識などありません。

もちろん私は河原の大きな石の上に背中からドスンと。

そこから何分か、・・・その日の記憶はありません。

手下たちは、兄ちゃんは死んだと大騒ぎになったとのこと。

これは大人になってから聞いた話です。

でも、確かに私は死んでいました。[^^;;

 

でも、九死に一生と言うけれど今回はその2です。

2回も経験していたら九死に一生とは言わないかな。[^^;;

 

 

九死に一生 その1

九死とは、ほぼ助からない命だと思われたがほんの少しの確率で命を拾ったと、そんな意味ですよね。

別な言い方でいうと、運のいいやつだと。

ん?、九死に値するほどの経験をするのは運が悪いからかな。[^^;;

 

で、私の九死に一生経験です。

 

小学校へ入る数ケ月前ですから、6歳の時の話。

盲腸が手遅れで破れていたとのことで1ケ月も赤平市立病院に入院していました。

退院してから1ケ月後の入学式はふらふらしていたのを覚えています。

理由は、当時お腹が痛いからと病院へ連れて行かれたのですが、父は「放っておけば治る」と言い、何日か経ってからのこと。

あと2時間遅かったら駄目だったと、後日の母の言葉です。

 

当然ながら父を恨んではいません。だって当時は貧乏の真ん中で、治療費がなかったのでしょう。

つまり、子供の命より、お金が、・・・・。

なんて、少しイジケタふりを。[^^;;

 

でも、これは九死に一生にということになるのでしょうか。

考えるに、もう少し遅かったら命が無かったという話で、ほぼ助からない命を拾ったのとはちょっと違うような。

しかし考えようによっては、一日24時間、2時間遅かったら危なかったのですから、九死に一生よりもっと低い確率にはなりますね。

だって12分の1の確率。[^^;;

 

 

美味しい鴨せいろを食べたい

目標/鴨せいろを1年間に50個食べる。

これを目標に3年目ですが、今年は早めのペースで今日で16個目。

できるだけ新しいところへ行きたいので、近場ではだんだん行くところが無くなってきました。

その影響なのかここ2回はマズまずです。

 

先日は「どこの鴨ですか」と聞いたところ、産地ではなく商品名で答えてきました。

今日は産地は答えましたが、・・・・まずまずです。

つまり鴨の味ではなく料理の味に難ありなんですよ。

 

私は自社の鴨が一番だと思っていますが、それでも情けないほどのところもあります。

もちろお客様ですから感想などは言えませんが、鴨の味ではなく料理の味がマズマズなんです。

 

と言うことで今日は店の名前は書けません。[^^;;