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自己紹介/岩井政海

北海道サフォーク牧場  場長013.jpg

え~っと、お初にお目にかかります。

私が株式会社アイマトン/代表取締役(2015.11社長を退任その後快調です)、そして北海道サフォーク牧場長兼務の岩井政海です。

初めまして、といっても顔写真が初のお目見えです。

HPなどでは、水あめで作った似顔絵を顔写真代わりに掲示していますが、実物写真は初めてですね。(2011年4月1日から阿寒T口さんが書いた似顔絵を使用)

そして、いまさらと言われそうですが、自己紹介は初めてかな。

 

と、言うことでさっそく自己紹介を。

私は、1949年(昭和24年)5月23日生れで、今年3回目の成人式(2009年還暦)をむかえます。

生れたのは北海道赤平市、幌岡小学校・中学校を卒業後、最終学歴は北海道赤平西高等学校卒業です。

小学生の頃は、学校から帰ると、写真右に立つ父(2015.12.15没)が玄関先で飼うヒヨコに「お帰り」を言われ、庭先にたむろするアヒルや七面鳥、ニワトリと遊んでいました。

(カメラ目線が1歳下の弟)

5歳頃、ニワトリと.jpg

その頃の写真ですが、後ろの家を見てください。これが自宅ですから、そうとう貧しかったのが解ります。

でも、幸せなことに自分達兄弟4人はそんなこと一度も感じたことはありません。これは、父や母には感謝しています。

また、毎年夏休みなると、1kほど離れた本家(父の実家)で、鬼のように(当時はそう思っていました)恐ろしかった祖母の目を盗み、危ないから行くなと言われたちょっと大き目の川で、カジカやドジョーを取っり、ときには川原に火をおこし焼いて食べたことを、今でも懐かしく思い出します。

しかし、その川から、ある日突然ドジョウやカジカがいなくなったことがあります。

父に聞くと、上流に田圃ができ『強力な殺虫剤を使うからだ』とのこと。

父や母は、「ドジョウも死ぬような強い薬を使い作った米を、人間が食べても大丈夫なんだろうか」とも話していたのです。

その時のことが、今日のサフォークの放牧場が、化学肥料を使わないとか、農薬を使わないとかに繋がっているのです。

また、秋から冬には、茶の間の薪ストーブの上にはいつも豚の餌の鍋が乗っかって、なんとも嫌な臭いを出していましたね。

でも、これもその後の養豚業へと繋がっていくのですから、人生面白いものです。

で、高校2年(1967)の夏休みに、決断したのです。農業を継ぎ当時少し飼育していたニワトリを増やして養鶏業で生活するんだと。

それから、毎年冬には裏山から落葉の木を切り出し、雪が解けたらその材料で鶏舎を建て、鶏を増やしていったのです。

22歳くらいまで、3反ばかりの田んぼと8反の畑、そして母の勤めと私の冬の出稼ぎで、一家6人が生計を立てていたのです。

そのうち、こうして建てたニワトリが増え始め、タマゴを赤平市内の商店や食堂、スーパーへ売りに行き、商いの面白さに目覚めました。

これまた、スーパーへタマゴを卸売りしながら、いつかは自分もスーパーをやってみたいと思うのですから面白いものです。

その後、1978年29歳から養豚業も始めました。

最盛期には母豚100頭で、子豚も含めると常時1000頭はいたのではないでしょうか。

ところが、養鶏を始めた当初は山の中で何の問題も有りませんでしたが、だんだん近隣に住宅が建ち、公害問題が出るのです。

もちろん臭い対策や蠅の発生などには十分注意していました。

しかし、住宅地となった場所に建つ養豚場・養鶏場が、これで公害対策は万全だと思ってもゼロにはなりません。

つまり、公害からは逃れることはできないのです。

そんなことから廃業を決意するのです。

1992年 43歳 養豚業を廃業

1998年、49歳 養鶏業を廃業。

 

 

続く。(気が向いたら書き加えます。悪しからず、[^^;;)

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