滝川から、帯広、本別を通って白糠まで、一日車で10時間650km走るのはキツイ。
ジャジ-牛とめん羊にあってきました。
サフォーク種の羊は、オーストラリアから12月4日か5日に横浜の動物検疫所へ入り、3週間ほどで検査を済ませ北海道サフォーク牧場へ到着する予定です。
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【座右の銘】油断と見栄・過信は身を滅ぼし、ケチとあまのじゃくは誉め言葉
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滝川から、帯広、本別を通って白糠まで、一日車で10時間650km走るのはキツイ。
ジャジ-牛とめん羊にあってきました。
サフォーク種の羊は、オーストラリアから12月4日か5日に横浜の動物検疫所へ入り、3週間ほどで検査を済ませ北海道サフォーク牧場へ到着する予定です。
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札幌駅に直結で『札幌ステラプレイス』があり、そこの9階全部がフレンチレストラン「ミクニ サッポロ」です。
昨日は三國清三さんが来札。生産者との食事会で会社から3人が参加しました。
食事をしながら三國さんは生産者と商品を紹介するのですが、会場の雰囲気は最高でしたね。
フレンチレストラン「ミクニ サッポロ」さんへは、北海あいがもを納入しています。
これからコウライキジも納品できそうです。
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2006年3月07日の記事『タバコを吸う人は仕事をしない』へ、コメントを頂きました。
====ここからコメントです。
煙草を吸う人は仕事ができない・・そうでしょうか 偏見じゃないでしょうか 吸わなくても仕事できない人はできないですから よーく従業員を見てください
====ここまでコメント
で、私の返事です。
「はい、おっしゃるように、私の偏見です」
「ただ、一つだけ解ってください。同じ能力の人(仕事ができる人)、二人を比較した前提で、タバコを吸う人の方が仕事をしませんという意味です」
でも、やっぱり偏見でしょうね。
弊社ではタバコを吸わない人へ、禁煙手当を出していますが、喫煙者へは何も対策をしていませんでした。
そこで『禁煙ボックスを設置』をしたのです。
これで、私のような喫煙者へのいじめは、少しは弱くなる思います。
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倒産にいたる原因の9割が経営者にある。しかし、あとの1割は社員にも原因がある。
私はこう考えています。
社員の失敗は経営者が修正できますが、経営者の判断ミスを社員は補えません。ですから、経営判断が重要なのです。
もっとも、ほとんどの会社は、働く人の失敗で会社が傾くほどの権限を社員へは与えていません。
しかし、倒産した会社から弊社へ入社した社員が言うには「この会社へ来て、自分は前の会社でいかに働いていなかったか解った」と言うのです。
倒産にいたる会社の社員は、おおむね働かないのも事実なのです。
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もう少しで決まります。
何がって、羊の輸入です。
12月に、オーストラリアからめん羊のサフォーク種、雌70頭雄2頭を輸入するべく準備をしていましたが、ほぼ決まりました。
北海道サフォーク牧場の建物はある。草地は整地中。で、今回サフォーク輸入の準備がととのったのです。
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昨年、2005年8月23日のブログ記事、ジンギスカンブームは、いつまで続くのかで書きましたが、心配です。
今月の頭に、当社とも取引のあったジンギスカン店が倒産しました。
この会社はジンギスカン店ばかりではなく、和食など外食店を多角的に経営していたので、この倒産をジンギスカンブームの終焉に結び付けるには、無理があるかもしれません。
しかも、3店を矢継ぎ早に出店しての倒産ですから、ブームの終焉とは思いたくもありません。
しかし、間違いなくブームは山を越しました。ジンギスカン関連のブログのアクセス数減がそのことを物語っています。
今日は、昨年の記事から丁度1年です。
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今日は取引関係のゴルフで千歳空港カントリー倶楽部。
成績は110。これを百獣の王といいます。110だから(笑)。
え~・・でも、今日は成績を言いたいのでは有りません。
ゴルフは好きで、私にとって唯一の趣味といっても良いかも知れません。で、最高で78が2回あります。
しかし、最近はやる気が出ないんです。ゴルフが面白いと思わないんです。
面白いと思わないから、成績はよくありません。成績がよくないので、やる気も無くなり、楽しいと思わなくなる。回数も減る。
この繰返しで、悪循環。
でも、つくづく思うんですが、やる気の無くなったのがゴルフでよかったですね~。仕事にやる気が出なくなったら大変なことになるところでした。
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高校2年生の時、自分の人生を決めました。ちょっと大げさかな。進学をあきらめ就職先を決めたのです。
父は3反ばかりの田圃と1町ほどの畑。そして鶏を数百羽飼育していました。母は赤平私立病院に看護婦として勤務。
で、私は高校2年生の夏休みに、養鶏をやりたいと話したのです。
父は「そうか」と一言。
もっと何か言うのかと思ったら、感動も感想も、愛想も何も無い、いずれにしてもそのとき、今の人生に繋がる選択をしたのです。
後悔はしていません。
なぜ高校2年の時自分の進路を決めたのか。それは、いま牧場を経営する友人の一言です。
高校2年の春に友人と二人で帰宅の道すがら、丘の中腹にある田のあぜに腰掛、高校の屋根を見ながら将来の夢を話したのです。
私は「大学へ行き、弁護士になる」と。
友人は「髭をはやしたいい大人になってから、親父の扶養家族でいたくない。おれは牧場をやる」とのたまう。
当時も友人の父親は赤平の開拓農家で牧場を経営していました。
私は変に感動して「そりゃそうだ。よし俺も養鶏をやろう」と。
私は当時のことを今でも鮮明に覚えていますが、その友人に聞いたところ覚えていないようでした。
悲しかった。
でも、後悔はしていません。
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