仕事と趣味

今日は私の仕事と趣味の話し。

仕事とは生活に必要なお金を稼ぐ手段。

趣味とは己の欲を満足さるためにお金を使う、ことや物。

仕事は嫌でもやらなくちゃならないのでお金が入ってくる。趣味は自分が好きな時間やことだけで良いからお金を使う。

と、こう私は考えています。

直裁に言うと、仕事はお金が入ってくる。趣味はお金が出て行く。

これで間違っていないかな。

それで自分はどうなんだろうと考えてみました。

仕事は解り安いので置いて。

私の趣味はどうかと言うと。

しばらく前はゴルフでした。でも、お金はともかく時間が掛かり過ぎ、人生残された時間はそう長くも無いのに、ゴルフが趣味では勿体無いと思うようになり、50肩の痛みを理由に止めてしまいました。

その前はコレクター。とにかく何でも集めてみました。

でもこれも、なんの生産性もないゴミの山を作っているだけだと気が付いたとたん、白けて止めてしまいました。

次にグルメ。というか食べ歩き。

胃袋は一つ、こりゃだめだと長続きしませんでしたね。

外国旅行。これはお金と時間が掛かりすぎ、と言う理由で挫折。

良い車は不要。高級なスーツはいらないし、ばくち、女遊び、お酒。どれもこれも興味なし。

何でこうなったのか。

簡単です、私はケチだから。[^^;;

ということで、一番長く続いているのが仕事。『稼ぐ』と『使う』が一緒ですから、これが実に便利。

あれっ、これってもしかしたら、仕事と趣味が一緒。と、気が付いたのが最近です。

私は満足していますが、もしかしたらつまらん人生かも。[^^;;
続きを読む…

赤平西高3年C組

夕べは札幌へ。

赤平西高3年C組のクラス会へ向けた準備会、兼ミニクラス会。

女性二人を含む9人が集合。

み~んな元気。

そんな中でも女性は特に元気でしたね~。そして若い。

それにひきかえくたびれているとは言いませんが。男はやや疲れ気味。

なるほど、女性は平均寿命が長いわけだ。

明らかに差があります。[^^;;

私はというと、お酒を飲まず5時半から8時までで途中退席です。ごめんなさい。

それから1時間半掛け帰宅。ちょっと疲れましたがでも心地よい疲れです。

9人中、高校卒業以来42年ぶりの同級生は3人。

でも時間なんて関係ないですね。60秒もあれば18歳から60歳までワープするんですから。

さて、今日のブログタイトルは赤平西高3年C組としました。

もし検索でここを見た方は連絡をください。今年6月にクラス会を開催します。

メールはブログ左横に有る、『筆者にメールを送信』から送れますよ。

こりゃ便利だ。[^^;; 
続きを読む…

高校のクラス会

北海道は赤平市生まれの私ですが、学校は小学校中学校そして高校と全部赤平でした。

で、ちょうど三回目の成人式は切がいいということで、8月22日に小中学校(小学校と中学校の併設校だったので)のクラス会を盛大に開きました。

それは良いんですが、実はここへきて卒業してから40数年一度も開いたことの無い高校のクラス会の話が急に持ち上がったのです。

ある日突然、9月始めですが高校の同級生から手紙が来ました。

『え?、もしかして』と思ったら案の定。「高校のクラス会を開くために住所を調べないか」とのこと。

これは還暦を迎えて、残り少ない人生をお互い慰めあおうとでも言うのでしょうか。[^^;;

で、3日にその準備会とも言うべき集まりがありました。

『7人の侍』とまで力む必要はありませんが、札幌方面から3人と地元赤平近郊から4人が集合。

たった7人なのに卒業以来の人が2人。

その一人K木君、顔をあわせるなり、「誰だった?」とは、ほんと失礼なやつだ。

こちらは解ったのに。

いつも鏡で自分の顔を見て、高校生の頃とちっとも変わっていないと悦にいっているんですが、まぁ大きな勘違いなんですね。

で、30分位して「だんだん解ってきた」とのこと。

ん~~、そんなに毛が、じゃなく影が薄かったかな。[^^;;
続きを読む…

価値と無価値

◎私が価値無いと思うもの。

 高級車、豪邸、贅沢、名誉欲、権力、勲章、競輪、競馬、
 タバコ

◎私にとって価値あるもの。

 自分、家族、先祖、子孫、友人、仕事、時間、考え方、
 戦略、ゆめ、希望、笑い、眠り、食べ物、職人、水、酸素
 しゃれ、やりたいと思うことがやれること
 あっ、あとここ→にほんブログ村 経営ブログへ

◎判断付きかねているもの

 お金、宗教、高学歴、ゆとり、忙しさ、趣味、政治家、官僚
 インターネット、※この項目の順番。
続きを読む…

クラス会

昨日中学校の思い出を書きましたので、今日も一つ。

非常に中の良いクラスでした。なんせ9年間34人(?)でずっとほぼ同じ顔ぶれだったもので。

ですから、小学校2年のとき、誰が転校していき、また入ってきたとか、5年生のときは誰が転校してきたとか、中学校1年では誰が、転校して行ったとか、ほぼ全て把握しています。

で、9割は同じ顔ぶれ。

他にも誰が何年生のときお漏らししたとか、忘れたほうが良いようなことまでも、鮮明に覚えています。

そんなことで、クラス会はよく開いていますが、まとまり良く仲の良い理由はもう一つあります。

それは、卒業時の担任の先生です。

その先生は、中学1年の2学期に赴任してきたのですが、この先生が兎に角素晴らしいのです。

私の人生で、心から先生と呼べるただ一人の人かな。

次にックラス会を開く約束は60歳。でも出席するかどうか迷っています。

30歳のときはまだ良かったのですが、40代のクラス会では、孫が居ると話している者が居ました。それは良いんです。

50代のときはそれが一段と進んで、そんな話と昔の話ばかりです。ん、、、これもゆるせるかな。

これじゃ60代のときには、どんなクラス会になっているやら。過去の思い出ばかりになりそうで、これが怖いのです。

私としては、もっと先の話、将来の話をしたいのです。でも、これでは夢のある話を交わせそうにありません。

むろんいまさら青年のような話まで期待はしませんが、人生はまだまだ先は長いのです。

これからどう生きるかとか、自分の人生の締めくくりはどうありたいとか、過去の話ではなく先の話をしたいのです。

むろん過去の話を楽しむことを否定するつもりは在りませんが、でも、人は死ぬまで生きていかなければなりません。

私も先の方が短くなってきたので、その短い時間を充実した時間とするために、過去を振り返っているばかりの時間はどうかなと。

偉そうな事を言っていますが、でもこの話、
私が60歳まで生きることが前提の危うい話です。[^^]v

続きを読む…

教科書のお下がり

親戚から、教科書のお下がりを貰った話の続きです。

思い出しました。

あるとき同じ町内に住む人からお下がりの教科書を貰ったことがあります、しかし、なんと年齢が二つ上。

つまり、1年あいだを空けてのお下がりです。

不都合は沢山ありましたね。たとえば授業中教科書を開くと、先生の話と書かれていることが微妙に違うとか。

内容ばかりではなく、先生の指示するページも違ったりするのですから。

結局そのまま使いましたが、なんでと疑問に思う人もいるでしょうが、かなり貧しかった両親は教科書代を浮かせようとしたのです。

当時私は余白に落書きのある薄汚れた教科書で勉強しましたが、同級生の中には真新しい教科書と筆箱、鉛筆を持って新学期を迎えるものもいます。

今考えると、生活保護を貰っている家庭も真新しい教科書でしたね。

しかし、子供の頃はそんなことは理解できません。

40人前後の同級生の中で、兄や姉から教科書のお下がりはあったとしても、丸きりの他人、それも、二つ上の人からのお下がり教科書、これはそう多くはないでしょうね。

そんなこんなで『なんで俺だけお下がり教科書なんだ』と、なんとなく解る我が家の状況で、ぶつけようのないイライラを感じたものです。

でも、その教科書、一つ下の弟へ行きました。
続きを読む…

くさいがすき

サフォークを飼っていると糞尿の処理が必要になります。また『北海あいがも』も家畜の一種なので、尿はしませんが糞はします。

これらの処理はどうしているかというと、堆肥にします。

完熟した良い堆肥は、肥料として牧草地へ散布します。で、牧草は綿羊のえさになるのです。

良い堆肥を作るには、数回天地を逆に(堆肥の切返し)します。適度に酸素と水分をいれてやるんですがこの写真はユンボで切返し中です。

切返し中の堆肥.jpg

湯気が上がっていますが、堆肥の中は70℃以上になって発酵しています。

この切返しをすると、湯気と一緒にものすごい匂いがでるんですよ~。

この匂いは初めての人だったら、きっと吐き気をもよおし絶対嫌うでしょうね。

しかし、私はこの匂いが大好きなんです。

変でしょうか。

今日なぜ他の人が嫌うこの匂いが好きになったか解りました。

それは子供の頃まで話はさかのぼりますが、我が家は畑作農家でした。

傾斜面の畑は粘土地で肥料分は少なく、野菜のできも悪かったので、自宅の玄関脇の空き地で父はいつも堆肥を作っていました。

毎年春になり良い堆肥ができると、その堆肥を手にとってニコニコしている父を見て育ったのです。

だからでしょうね。

良い堆肥のにおいが好きになったのは。

でも、良い堆肥ができたからといって、生活が楽になるとは限りません。
続きを読む…

成人式の予算は1万円

昨日今日とニュースでは成人式の話題でもちきり。

特に今年は夕張の予算1万円の成人式が話題となっていました。

あれ?でも成人式とは言わずに成人祭と言っていた様な。

夕張の成人式には、昨年まで60万円の予算が付いていたようですが、現状破産してしまったのではしょうがないような気もします。

でもちょっと気になったのは、いい思いをしたのはもう故人か引退した人たちで、今の現役はむかしのつけを支払わされているような気がします。

 

ところでテレビニュースで成人式を見ていましたが、ずいぶんおとなしい式典ですね。

荒れる成人式が話題になって何年経つでしょう。

式典で他人に害を与えるのは論外だとしても、おとなしいから新成人が良くなったと言って喜んで居られません。

社会全体が少し陰湿になっているような。[^^;;

 

続きを読む…

今があるのは高校2年生の時の選択から

高校2年生の時、自分の人生を決めました。ちょっと大げさかな。進学をあきらめ就職先を決めたのです。

父は3反ばかりの田圃と1町ほどの畑。そして鶏を数百羽飼育していました。母は赤平私立病院に看護婦として勤務。

で、私は高校2年生の夏休みに、養鶏をやりたいと話したのです。

父は「そうか」と一言。

もっと何か言うのかと思ったら、感動も感想も、愛想も何も無い、いずれにしてもそのとき、今の人生に繋がる選択をしたのです。

後悔はしていません。

なぜ高校2年の時自分の進路を決めたのか。それは、いま牧場を経営する友人の一言です。

高校2年の春に友人と二人で帰宅の道すがら、丘の中腹にある田のあぜに腰掛、高校の屋根を見ながら将来の夢を話したのです。

私は「大学へ行き、弁護士になる」と。

友人は「髭をはやしたいい大人になってから、親父の扶養家族でいたくない。おれは牧場をやる」とのたまう。

当時も友人の父親は赤平の開拓農家で牧場を経営していました。

私は変に感動して「そりゃそうだ。よし俺も養鶏をやろう」と。

私は当時のことを今でも鮮明に覚えていますが、その友人に聞いたところ覚えていないようでした。

悲しかった。

でも、後悔はしていません。
続きを読む…

春ですが、北海道の猛吹雪の話を一つ

小学1年の冬の話です。

学校から自宅までの距離は700mです。しかし、小学1年生にとってはかなりな距離でした。

当時は、一度雪が降ると自宅までの道路は、春まで除雪されません。

しかも、国道から自宅への道路は私の家1軒だけでした。ですから、朝学校へ行った足跡が、帰りまでそのままの時もあります。

晴れている時は、朝来た道を、いや足跡をそのままたどって帰るのですからまだいいとしても、問題は吹雪のときです。

少しの吹雪でも、瞬時に道路はかき消されます。で、何処が道路か判別できません。

いまでも北海道の小学校ではそうでしょうが、当時も猛吹雪になると集団下校となり、みんなで一緒に帰宅したものです。

危険な猛吹雪の集団下校でも、私は学校から200m過ぎると、たった一人で横殴りの雪の中を、500mも歩いて帰らなければなりません。

10m行っては一休み。5m行ってはまた一休みと、何十回も休みながらでないと小学1年生の足では歩けないのです。

これは決して大げさな話ではありません。

休み休みと書きましたが、実質は立ち止まり呼吸を整えて歩き出す。そんな感じでしょうか。

猛吹雪の中を歩くと、風向き次第では息継ぎができないことがあり、大げさではなく何回このまま死ぬのかと思ったことでしょうか。

でも、その猛吹雪って、大好きだったんです。

実は、それは今もなんです。
続きを読む…