感動した話ふたつ

先月から今月にかけて感動が二つありました。

自分自身や家族のことを別にしてこれほどの感動はそうは有るものではありません。

 

第一はオバマアメリカ合衆国大統領の広島訪問。

 

で、今日は二つ目の感動のほうを。

それは昨日7歳の子が行方不明になってから6日間の時を経て無事救出された出来事です。

世間では奇跡と言っています。

 

ここでちょっと待てよと。

世間ではそう話していますが奇跡だけで助かったのでしょうか。

歩いた先に陸上自衛隊演習場の施設があったからとか。

施設の 鍵が壊れていたから入れた。

建物の中に マットが有ったから低体温にならなかった。

水道水がでたからそれを呑めた。

自衛隊員が雨宿りを偶然したから見つけられた、などなど。

 

運が良かっただけが助かった理由でしょうか。

天邪鬼の私は本人の能力は関係ないの?、と思ってしまうのです。

置き去りにされた時間は、7歳の子供にとっては夜中ですよね。

暗い中をす歩くなんて、その精神力は相当なものですよ。

しかも10kmも歩いたというのですから体力もかなりあります。

もう一つ、普通に考えて『わぁわぁ、・・・』と泣くだけだと予想される状況だろうに、たぶん最初に見つけた建物から動かなかったようです。

これらは奇跡と言いうより、日常どういう遊びをしているとか、普段はなにを考えているとか、大人のどこを見ているとか。

これが大きく影響していると思うのです。

つまりは個人の力です。

そのちからが自分自身の命を救ったのです。

じゃその個人の力はどうやって養われてきたのか。

 

それは父親の教育でしょうね。

今回の件で父親は反省しているだろうし、世間からも非難され落ち込んでいるでしょうが教育の仕方は間違っていないと思います。

置き去りにするのは厳しすぎる、虐待だと。

いろいろ他人は言えるでしょうね。

無責任に。

しかし、いくつかの奇跡を利用して生き残ったのは間違いなく父親の教育のたまものです。

 

もし、この子がこれから駄目になるとしたら、無責任な世間にちやほやされてでしょう。

いま父親のやることは子供に対するスタンスを変えないことです。

 

それにしても、的外れの場所を探していた何百人もの捜索隊に失態は無かったのかな。

 

無事見つかったから非難はしませんが。[^^;;