団塊(だんかい)の世代の呼び名は
堺屋太一さんの小説『団塊の世代』から
この言葉
知っていてももう少しお付き合いを
私は1949年生まれ
小中学校は田舎の学校でさえ一クラス40人弱
当時街の中学校は一クラス50人くらいで10クラスあったとのこと
教室が足りなく体育館を仕切って勉強していたという話も聞きます
その後同じ街の高校へ入りました
当時の同級生は8クラス440人くらいが卒業
一クラス50人以上
このころはまだ団塊の世代という言葉は知りませんでしたね
あったのかな
中にいたらその環境も当たり前
ですからなんの不満もありません
当然すべてが競争で
なんでもかんでも競争していたような気がします
そういえば
「隣の芝生が青く見えます」という言葉もありましたよね
戦いの世代と言った方がいいかな
人よりいい服を着たい
人よりいい生活を
人よりいい学校へ
人よりたくさんお金を持とう
ということでなんかず~っと肩を
怒らせていたような気がします
世の中を作っているのは自分達なんだという気持ちもありますが
『同世代には負けたくない』の気持ちの方が強いですね
ということで、
なんでもかんでも競争しながらと生きていました
でも最近思うのです
墓に入る競争は負けてもいいかなと。[^^;;