フランスにおける犯罪行為について

フランスにおける犯罪行為についての(私の中での)総まとめです。

自分の考えなのに、自分ではまとめられないので人の力を借りました。

 

武田邦彦(中部大学)さんのブログから。

====ここからhttp://takedanet.com/archives/1017529869.html

「平和」を考える(2)・・・ヨーロッパのアフリカ分割会議

(平和を考える第二回を書いてみるとすこし激しいのですが、筋はこのようなものと思います。平和を守るには少しぐらい過激でも良いかとも思います。)

「これが正しい」と言う人は少なくともその人自身がある程度は正しい行いをしていないと、言う資格が無いだろう。私は時々、「泥棒に盗むなと言われたくない」というけれど、泥棒はいつも人のものを盗んでいるのに、一度も人の物を盗んだことがない私に、その人から「盗むな」と説教してもらってもありがたみがない。

私は企業の研究者から大学に移ったが、企業の時にはときどき、会議に遅れることがあったような気がするけれど、大学の先生になってからはぜったいに遅刻しない。学生に「遅刻するな」と注意しなければならない先生が遅刻していてはダメだからだ。

2015年1月、パリでテロ事件があった。このテロ事件では多くの人が「フランス政府の方がテロ集団より「正しい」」という判断をした。

しかし、なぜイスラム関係のテロがフランスで起こるかという原因は、1885年にベルリンで行われた「アフリカ分割会議」にある。当時、アフリカには人も住んでいて、国もあったし、部族が支配している土地もあった。それなのに、ヨーロッパの国は「自分たちの方が暴力が強い」という理由で「アフリカを分割しよう」と言って会議を開き、そしてそのとおりアフリカはほとんどすべてがヨーロッパの植民地になった。

だいたい、人が人の上にいて、その人の運命を左右することはいけないというのがヨーロッパの考える「自由、平等、博愛」だ。それなのにアフリカを分割する会議をやって、白昼堂々とアフリカ人を殺したり、搾取したりした。

日本の反日日本人はその歴史的な事実を知っているのに「ヨーロッパは正しい」という前提で日本の侵略戦争を問題にしているが、侵略の程度は日本が泥棒ならヨーロッパは殺人犯である。

私が日本人の誠実さから言えば、今回の問題で「表現の自由」と言われるが、「自由」を自分たちだけのものにして、他の民族には自由を与えなかったヨーロッパは到底、正しいとは思えない。「泥棒から盗むなと言われる」というそのものだからだ。

私はヨーロッパが「表現の自由」をいうのなら、まずその前提として「130年前、私たちは間違ってアフリカを分割しました。私たちがイコール・パートナーとして今後、平和な世界を築くためには、まずアフリカ諸国が「ヨーロッパ分割会議」をしてヨーロッパをお好きに分割してください。その中で私たちは100年間,呻吟します。それが私たちの「自由、平等、博愛」の考え方ですから」と言わなければならないだろう。

そんなことを言うと「非現実的だ」という批判が来る。その理由を聞くと、「白人の方が黒人より優れている」ということになる。それではこの世は良くならない。現実にとらわれず、勇気を持って理想に踏み込むことだ。

自分たちが諸外国に自由も平等も与えずに暴力で支配し、テロがあったからといって非難するのは自分勝手と言われても仕方がない。誠実と礼儀の文化を持つ日本人ならそんなに居丈高にはならない。

(平成27年1月12日)

====ここまで武田邦彦さんのブログから