市会議員の応援演説

統一選挙が終わりました。

今回の選挙には、友人の娘さんが市会議員に立候補しました。

で、最後の打ち上げの応援演説を頼まれたので、演説をしたのですが、うまくいきませんね。

下記にスピーチ原稿を書きすが、何ヶ所か飛ばしたようで、予定通りには話せていません。

飛ばすのは良いとしても、内容につじつまの合わないところが出ていないか、心配です。

====ここから原稿

こんな街に誰がした、
なんでこんな街になった

6万の人口が3万になる、
半分の3万になっても、6万人を夢見て街づくりをした。

3万人から1万5千に人口が減る。
人口が1万5千でも、3万人がはいる器の街づくりをした。

入る税金が半分になったのに、
出るお金を減らさず、キリギリスみたいな生活を送っていたら、
破綻するのは小学生の小遣い帳でも解る話しです。

歴代の市長には責任を取ってもらいたい。

チェック機関の市会議員は何をしていた。
任期前の辞職者が3人いたという。
これが示すとおり、自分の懐具合ばかりを考える議員。

しかし、誰が彼らを責めることが出来ようか。
なぜなら、撰んだのは私たちなのだから。

街の絶頂期を知る50歳以上のひと、
3万人の人口が居た時代を知る40歳代の人、
もう二度との人口は6万人はおろか、
3万人にもなりません。

私が彼女を応援した理由はここにあります。

彼女は1万5千の街で育っています。
寂れた、過疎だというが、彼女には
これが当たり前の自分の住む街だったのです。
普通に生活する街なのです。
そして、夢を掛けるに値する街なのです。
彼女の人生は、今ここから始まるのです。

先日テレビで、沖縄の西にある小さな島へ光回線が通ったと報じていました。

光回線が通じると、沖縄本島からインターネット関連の会社が移ってきました。

社長いわく「田舎だからいいんだよね~」と。

インターネットの時代は田舎に光が当たるチャンスでもあります。

いくらパソコンが簡単になった、
インターネットが解りやすくなったといっても
50歳以上にはまだまだ付いていくのがやっとです。
インターネットは、これから家庭にも行政にも企業にも、
益々入り込んできます。

若くなければ付いていけません。

もう箱物の街づくりは、終わったのです。
ハードからソフトの時代です。
ソフトの時代とは、
一人一人の感受性が大事にされることなのです。
感受性の時代とは女性の時代でもあります。

4年に一度の検証の機会この選挙に、
市長の対抗馬は出ないという、
出る議員の名前を見て暗澹たる気持ちになったのは、
私だけでしょうか。

いっときは投票に行くのを止めようかと思ったほどです。

そんな時です。
そんな時、小さな光がともりました。

その光が14日から輝き始め、
ますます光を強めて、
私たちの希望の星となったのです。

“市会議員の応援演説” への2件の返信

  1. オフマークさん、コメントをありがとうございます。
    やりました。当選しました。
    若いですからこれからに期待しています。
    では。

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