昨日の続きですが
朱に染まれば赤くなるのはなし
それを強烈に感じたのが20代のころ
社会へ出る前後から叔父のスーパーで魚屋や肉部門でアルバイト
他に、土方や豆炭工場でアルバイト
これじゃ駄目だと養鶏業一本に絞りました
で、その次に養豚を開始
この養豚に力を入れたときのことです
旭川や北広島、
遠くは福島県の相馬市まで種豚を買いに走りました
今でも覚えています
旭川の嵐山の養豚農家から種オスを購入しようとしたところ
その入り口で
「ニワトリを飼っている奴とは交渉しない」とのっけから拒否されたのです
まだ、話もしていないのに
間に入っている人の言うには、
「ニワトリをやっているやつは、金勘定が細かくてダメだ」とのこと
確かにそうでした
養鶏業は卵1個10円か15円
その中で利益と言えば1銭とか10銭のはなし
1円以下の金額を毎日のように積み上げて生活をしていました
ですから考え方が細かなものです
方や
種豚は10万とかですから利益は万単位なんでしょうね
結局会うだけあってくれましたが、
入口でそんな感じですから
交渉は間に入った人に任せましたが
相手の言いなりで購入しました
あとで考えたら『やられたな』でしたが
その時感じたのです
たしかに養鶏業の人は細かい(自分だけかもしれませんが)かな
これが朱に染まればを一番最初に感じたときでした
人の性格は選んだ仕事でも作られるなと
また、街に飲みに出ると
その筋の人とも付き合いが自然にできてきます
気を付けてみていると
その人たちは100m先からでも見分けがつくことに気が付きました
で、思ったわけです
自分を置く場所って大切だなと
そんなことから、
自分の置く場所として選んだのが
赤平青年会議所だったのです
これが本当の社会への入り口でした
いまでもそれは右へ行くか左へ行くか
結構重要な選択だったと思っています
人間は清潔感が大事です、洗濯も選択も [^^;;