滝藤憲一さん

俳優の滝藤賢一さんと遠藤憲一さん

まるで似ていませんが

名前を書かれてあると

いつも滝藤賢一さんと書かれてあっても

遠藤憲一さんと読んでしまいます

 

なんでだろ

 

どちらも好きな俳優さんですが

滝さんは半沢直樹から

遠ちゃんはコマーシャルから

ではなく、・・・・忘れた [^^;;

 

いままでは滝さんより遠ちゃんの方が

良いなと思っていたのですが

今日から滝さんの方が

頭一つ抜け出ました

という話です

 

それはこの記事を読んだから

俳優 滝藤賢一さん 家族6人 2LDKで暮らしています!

 

詳しくはリンクを読んでください

でも一部だけコピーしちゃいました

 小3男児(9つ)、小2男児(7つ)、幼稚園年長男児(6つ)、年少女児(4つ)の4人の子どもと妻(38)。2LDKの部屋で暮らしています。

ここです、ここ

自分の子供の頃の生活風景に重なってしまって

 

昔々の我が家は超の付くボンビー

とは言っても

社会全体が貧しかったのですが

本人はそんなことを感じたことはありません

親の育て方が良かったのか

本人の性格が良かったのか

 

たぶん本人の性格が良かったので小 [^^;;

 

 

家と蟹の甲羅

いま住んでいる家は

私が生まれてから2軒目です

このブログに最初の家の前で撮った写真が載っていますが

かなりなボロ屋でした

 

新しい家が建った時は嬉しかったなぁ~

 

で、2軒目の家ですが

家の坪数は50坪(165㎡)で総二階

かなりな大きさだと思いますね

 

結婚して間もなくの頃の話です

家を建てるときに出した意見の一つが

とにかく予算の許す限り大きな家を建てようと

 

その前に

蟹の甲羅のことわざの話しをしなければなりません

蟹は甲羅に似せて穴を掘るです

意味は

大きな蟹は大きな穴を掘り

小さな蟹は小さな穴を掘って住まいにすると

こんな意味でしょうか

 

これをわが身に置き換え

人もそれぞれの能力に合った家を建てるのだと

そうだとしたら

最初に大きな家を建てたら

その家の大きさに合った人間になるよう努力をするだろうと

そのような意味からの提案でした

 

いま考えると

大きいだけの家でしたが

当時の町内は農家が多くほとんどの家は大きいのですが

その中でも大きさでは目立ちましたね

 

古い家(16.5㎡)から引っ越すと

入れる物も少なくガラガラ

 

いまは反省しています

 

家が大きいと物がたくさん入るので

どうしても捨てる行為は後回しになります

結果

要らないものが山ほどあります

夫婦二人になったいまは特に

 

終活の言葉は知っていますが

どう手をつけてよいやら [^^;;

 

大きな家は建てるものではありませんね

正直な話し

いまは持て余しています [^^;;

 

 

アルミのはしご

アルミのはしごは

ロープを引くと4mほどに延びます

Ladder extension 40 foot fibergla rentals Sterling VA | Where to rent ...写真はネットから拝借

自宅にも1個あり高いところへ上るとき使います

 

はしごって

登ときは上をみて登るのでわりと簡単に行けます

でも降りるとき足元を確認しながら降りるのですが

かなり怖いものです

 

なんか

人生と似ているなと思うのです

会社なら

新入社員から係長

係長から課長、そして部長

取締役で次に専務か副社長

最期に社長

 

ほとんどの人は収入の為かな

他に

支配欲かそれとも征服欲、

名誉欲、達成感などを満足させるためか

なんにしても一生懸命仕事をして上を目指します

能力のある人は

上を目指さなくても押し上げられますが

 

でも、

どこの段階、役職にあっても

いつかは降りなければなりません

降りるときは怖いですよ~ [^^;;

 

降りるのが怖いからなのか

役職にしがみつく人がいます

中には居場所がないのは寂しいとばかりに

会長とか相談役、顧問など

役職を作ってまで居残ろうとする人も

 

そうなるのは嫌だと

最初から梯子に上ることを拒否する人もいるようですが

 

でも会社って誰もが梯子を上らなければなりません

1段目で止まる人もいますが

てっぺんまで登る人もいるでしょうね

そういう仕組みなので

 

でも降りるときは

何方かと言うと一気に下まで降りることになります

落とされる、かな

これは、そりゃ怖いでしょ

どのくらい怖いか

梯子から落ちるほど [^^;;

 

誕生日おめでとう、と

facebookを使うようになったのが

2011年1月ですから

13年半経ちます

 

最近は留守がちですが [^^;;

 

その間

困るだろうなと思ったことが何回かあります

これです

亡くなった人のfacebookを開いたとき

「○○さん、誕生日おめでとうございます」と出てきます

何人からも

本人はもう亡くなっているのに知らないのでしょうね

 

自分がその立場になったとき(死んだとき)を考えると

どうしよう

そう考えて誕生日は入れないことにしましたが

他に設定方法は有るのかな

 

 

 

誰か教えて [^^;;

 

 

 

小さなお金を大切にする その三

寄付するのも嫌いですが

寄付をいただきに行く

これはもっとイヤで出来ませんでした

 

寄付をいただきに行く役目が有ったとき

それができなく

自分の懐から

それに見合うお金を出していました

 

お金のやり取りは

相手に何がしかのメリットを供給して

お金をいただいて成り立つものです

商いは

買う方も売る方も五分五分の付き合いです

 

なにも提供できないのに

お金をくださいって

とてもじゃないけれど言えません

 

・・・でした [^^;;

 

小さなお金を大切にする その二

寄付は嫌いです

こう大声で言いたいと

寄付を貰いに来る人に思っていました

大義名分を着けて

寄付を集めるとかにです

 

道路に立って寄付をお願いするとかにも

よくも他人にお金をよこせと言えるものだなと

 

しかも小学生くらいの子供にやらせる主催者は

卑怯だと思うのですがどうでしょう

だって、無視しずらいでしょう

道行く人に後ろめたく思わせるのは卑劣です

 

いくら大義名分を着けても

道行く人に

何の見返りも無くお金をよこせという分けですから

納得できませんでした

 

特に赤い羽根募金

断りにくい町内会の人に集めさせて募る

これって強制ですよね

いつだったか集めに来た人に

台帳を渡されました

それを見ると名前と金額が書かれてあります

3000円から5000円が多かったような

これを見たとき腹が立ちましたね

他の人の名前を見せて

出す金額を競争させようという魂胆が見え見えなので

腹立ちまぎれに

500円玉を一個だしました

集めに来た人は見るからに不満そうな顔を見せていました

文句を言ったらそれも引っ込めようと思いましたが

さすがにそれは無かったですね

でも次の年から町内会は

赤い羽根寄付金を集めに来なくなりました

いまも [^^;;

 

 

小さなお金を大切にする

以前に「キッチキチー」と叫ぶ漫才師がいたなと思い

検索すると

漫才コンビの大木こだま・ひびきのギャグでした

でもチト違いましたね

叫んでいたのは「チッチキチー」でした

 

この話とは関係ない話ですが

 

贅沢しないで余裕のある生活を送る

これ、理想です

 

でもよく考えると

余裕のない生活は

入ったお金をすぐ使うからでもあります

 

だいぶ前に聞いた話しで

心に残り実践していることが有ります

 

給料をもらったら

まず一番最初に1割はよけ

無い物として生活する、です

 

もう一つはコーラを買わないです

正確にははコーラではなく

小腹がすいたからパンを買うとか

食事以外にスナック菓子を食べるとか

自販機が少ない時

自販機を見たらドリンクを買いたくなったものです

それがダメと言う話です

 

また、タバコも駄目ですね

中学校の担任の先生が

一生タバコを吸わなかったら

軽自動車が1台買えると話していました

健康のためにタバコを吸うなと言われるより

そちらに反応してしまいました

高校を卒業したらたばこ代として毎月1000円

タバコの値上がりに準じで金額を上げ

最終的に3000円郵便局へ貯金していたものです

10年続いたかな

 

これ企業経営にも参考になりましたね

小金を大事にして次の投資に回すのです

つまり

普段はキッチキチーな経営なわけで [^^;;

 

保険の話し

若いころは生命保険に入っていました

収入元の自分に万が一のことが有ったら

子供達が生活出来なくなったら困るのでと

こんな理由です

 

その時思ったことがひとつ

産まれたばかりの赤ちゃんや小さな子供に保険を掛けることにです

子供が無くなっても生活に支障が無いのと

子供が無くなってお金が入るってどんな気持ちか

想像もできませんが

 

そんなこんなで

子供には生命保険をかけていませんでした

 

で、子供たちが成人して働き出し生活できるようになったら

自分への生命保険もすべてやめました

それがほぼ30年前

ん?、こんなになるんだぁ~

 

毎月生命保険を20,000円支払っていたら

30年で7,200,000円

ん?、こんなになるんだぁ~ [^^;;

 

だいぶ前の話し

子供の頃のことです

 

母が生命保険を毎月支払っていました

それが満期になることを楽しみにして

ところが

満期になり戻ってきた金額は微々たるお金になってしまったのです

 

戦後の超インフレがもたらした悲劇です

 

そんなこんなで思いました

生命保険は信用できないと

 

悪いのは超の付くインフレなのに~ [^^;;

 

 

 

 

残酷な人

我が社(株式会社アイマトン)は家畜を飼育しています

羊、アイガモ(北海あいがも)、地鶏(赤平火をどり)ハト、キジ、

今年から白七面鳥も

 

飼育した家畜はどうするかと言うと

最終的には殺して食肉にします

ほぼ100%

 

これを聞いて

ほとんどの人は残酷なことをする職業だと思う、

だけならまだしも

そう言う人がいます

 

本当にそうでしょうかと

言いたいのが今日のブログです

 

その食肉となった家畜はその後どうなるかと言うと

誰かのお腹に入ります

 

そうです

食べられるのです

 

ここで言いたいことは二つ

 

当然ながら

残酷なことは止めた方が良いでしょうね

これに依存はありません

 

はい、そこで

家畜の飼育している人が一斉に

餌をやるのを止めました

で、どうなるか

家畜はすべて死ぬでしょうね

そちらの方が残酷ですが

これはおいて

 

当然ながら家畜は世の中からいなくなります

どうなるでしょう

肉はこの世の中から消えてなくなります

自分で猟ができる人は

生き抜くことができるかもしれませんが

お腹を減らした人から餓死

するかな

猟をすると言ったって

ヒグマと戦うことができる人は何人いるでしょうかね

 

次により残酷なのは誰かです

家畜を飼育して殺す人と

食べる人のどちらが残酷でしょうか

当然ながら飼育する人より食べる人の方が多いので

飼育する人は残酷だとこう言うでしょうね

 

違う見方をしてみてください

昔々いたであろう人食い人種

他部族と戦って相手を殺す

これだけでも十分残酷ですが

そのあと

勝った方が負けた人を食べちゃった [^^;;

さて

この場合殺した人と食べた人のどちらを残酷だと思いますか

私は食べた人の方が残酷だと思いますね

 

もう一つ言いたいことが有りました

隣りの国に攻め入って人を殺す人

と、言うか国

欲しいのは食べ物ではなく

国土

つまり土地

余るほど国土を持っているのに

 

こちらの方がよほど残酷じゃないかな [^^;;

 

ウクライナに降参せよと

3月のこの発言はローマ教皇さんです

正確には降参せよと

言っているように取れるのです

 

いまウクライナは

理不尽に攻められている真っ最中

そのことに対して

降参するのは勇気のいる話だと

 

ひとことで言うと

この言葉は

時期が悪かったですね

 

記事からですが「最も強いのは国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ。負けたと分かったときや物事がうまくいかないとき、交渉する勇気が必要だ」下にそのままコピーしてあります

これが平時なら

また通常の交渉なら勝ち負けもあるし

損得も有るものです

損して得取れという言葉も有りますから

 

負けるが勝ちとも

 

例えば強盗に入られたとき

ほとんどの人は

まずは抵抗しようと考えるでしょうね

でも

体の大きな強盗犯だったり

こちらは1人強盗は3人とか

刃物や鉄砲を持っていたら

素直に言うことを聞き金を出す

これを白旗を上げるとも言いますが

そのあと警察に通報し

強盗を捕まえてもらうのです

命が助かって強盗も捕まったら

負けるが勝ちですよね

 

でも

国連は警察ほど役に立たないかな [^^;;

 

それはともかく

我が家に強盗が入ったら

私が一人なら戦いますね

相手が2人でも3人でも

相撲取りほど体が大きくても

拳銃を持っていてもです

 

 

いまは、そう思っています [^^;;

 

 

 

 

ローマ教皇 ウクライナめぐり「白旗」発言 教皇庁は釈明
2024年3月11日 17時20分

ロシアの軍事侵攻を受けるウクライナをめぐって、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、9日に公開されたメディアのインタビューで「最も強いのは国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ」などと述べました。これにウクライナ側は不快感を示し、ローマ教皇庁は降伏を促したものではないと釈明する事態となっています。

「最も強いのは国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ。負けたと分かったときや物事がうまくいかないとき、交渉する勇気が必要だ」と述べました。

一般的に「降伏」を意味する「白旗」ということばを使ったことについて、ローマ教皇庁の報道官は「インタビュアーの質問を引用したもので、敵対行為をやめ、交渉する勇気によって達成される停戦を示すためだった」とコメントし、ウクライナ側に降伏を促したものではないと釈明に追われる事態となりました。

これに対してウクライナのクレバ外相は、SNSに「最も強いのは、善と悪の戦いにおいて両者を『交渉』と称し同じ立場に置くのではなく、善の側に立つ者だ。命を懸けて戦うウクライナと国民を支援するよう強く求める」と投稿し、不快感を示しました。

教皇はインタビューの中でみずから仲介役を担う意欲も改めて示しましたが、去年8月には帝政ロシアをたたえるような演説をしたとして、ウクライナではその姿勢に懐疑的な見方も広がっています。