自分が全て決めているという錯覚

実は

自分で決めているというのは錯覚なのです

 

自分の性格は良く分かっています

長男の特徴でしょうか

我がままなのは

 

高校を卒業した時

就職しないで家業の農業を継ぎました

農業ならやることなすこと

全部自分で決められると思ったもので

本当は自然の力で決まっていたことをなぞっているだけなのに [^^;;

 

そうは言っても

田圃が3反(2970㎡)

畑が8反(7920㎡)

これじゃ生活ができません

嫁さんを貰うことも決められません [^^;;

 

あんなこんなで結局現金収入を求めて働きに出るのです

これは自分で決めました [^^;;

 

夏は土方

冬は伯父さんの鮮魚店か豆炭工場でアルバイト

 

2年ほど働いていたでしょうか

現金収入はありがたかったのですが

なんせ自分では一つも自由の無い仕事です

うなりを上げて動く機械へ

沈粉の石炭を投入し豆炭に加工する仕事は

楽でしたが面白くも何ともありませんでした

 

あるとき父に言ったのです

このまま豆炭工場で働くのは嫌だと

楽しくないと

 

そうです

自分で物事を決めるという事は楽しい事なのです

 

それからです

父と二人で

冬は山の落葉(カラ松)を伐採

雪の上を滑らせて自宅裏まで運び

雪が解けてから落葉の皮をはぎ

それを柱に仕立て

スコップで穴を掘り柱にして屋根をかけ

中でニワトリを飼い始めました

毎年1棟ずつ

ニワトリを1000羽から飼育し増やし始めたのです

で、卵を街の商店や食堂へ売りに行ったのです

卵を買うか買わないかは相手が決めているのですが [^^;;

 

父はほとんど私に任せて手伝うだけでした

仕事は超の着くほど大変

でも楽しかったですね

だって、自分の思う通りやれるんですよ

 

でも

あれもそれもこれもできるのは

母の市立病院での看護師の給料があったからですが

小学生、中学生、高校生の弟妹も居たし

生活自体はすべて両親が決めていたのです [^^;;

 

つまり何が言いたいか

父も母も

私にやりたいことをさせてくれていたという事なので

全ての決定権は自分が持っていた

と、いうのは実は錯覚で

家族の支えが有ってのことなのです

 

物事を決めるという事は

一見

一人で決めているように見えることですが

誰かの支えの下での行為なのです

 

じゃ今はどうなの?

 

経営者は決定権を持っています

あれもそれもこれも

社員がいて決められるのです

つまり周りの協力無くして

自分の地位は保てません

 

自分で決めていると言うのは錯覚で

決めさせられている、

これが正解(セイカイ)かな

 

ちなみに、

私の高校時代のあだ名はセイカイでした [^^;;