国旗・国歌に思う

日本の国旗は日の丸。国歌は君が代。

私も賛成。これしかないと思っています。

そうは言っても、国旗も国家も意識しない生活が一番だと思うのですが、如何でしょう。

いま日本は、国旗掲揚と国歌斉唱を義務付け、違反したら罰則を課すという方向へ行っています。

これには反対、大反対です。

意見は色々有るでしょうが、私の考えを聞いてください。

まず思うのは、生活の中で国旗掲揚は必要でしょうか。

ほとんどの人は、日本国内で生活する時、国など意識していません。

パスポートや身分証明書を持ち歩きませんよね。

何かこと有るとき、また外国と接点を持ったとき、国歌を意識し国旗に日本を感じるのだと思うのです。

それで良いと私は考えています。

日本人は国旗や国歌を大事にしないから、国を大切にしない国民だと言う人がいます。

だから国旗を掲揚せよ。しなければ罰則だと。

そうは思えません。

どうもその話の裏に国のリーダーの胡散臭さを感じるのです。

第二次世界対戦前夜のような。

別な言い方をします、アメリカ合衆国はなぜあれほど国旗・国歌を大事にするのでしょう。

多民族からなるアメリカ合衆国は、あらゆる場所、そしていつも、国旗だ、国歌だと植えつけなければまとまらないからではありませんか。

国旗国歌をシンボルとして、国家意識を高めようとしなければ、ばらばらになるからではないでしょうか。

これってどこかの国が、三代に渡りリーダーを神格化して、国民を一つにまとめようとするのと同じだと思うのです。

それが国旗・国歌を対象とするか、はたまた人なのかの違いです。

いずれにしても、強い力で国家を認識させられる国と、日常国家を意識しないでも生活できる国と、どちらの国民が幸せでしょう。

言うまでもありません。

我が日本は総理大臣が毎年変わろうと、日本人は日本人らしく生きています。

無能な官僚の下でも、破廉恥な政治家の統治の下でも、そして倫理観を忘れた経済人の下でも、日本人は真面目に働き生活をしています。

そんなこと無いとは言わせません。

3.11を振り返って下さい。

あれほどの困難の中、外国を感嘆させた食べ物を分け合う姿を。

東日本大震災の時のあの姿に、日本人の国家意識が見事に凝縮されていると思うのです。

当時のリーダー不在の国のあたふたした姿と対照的な被災者や、それを応援する日本人は、もしかしたら国家意識を超越した地球人ともいえる民の姿が有ったのです。

自分だけよしとする、他の国とは天と地ほど違います。

ちょっとの停電でも、シャッターを壊し強盗に入る国では、国旗・国家はこれでもかというほど大事にされ流されています。

日本のリーダーは、国旗・国歌を話すとき、必ずこの国を意識しています。

またある国では、餓死者が出るほど国民生活が困窮していても、その国のリーダーは神様になろうというほど神格化されています。

この二つの内、一つでも上手に出来ない国は、本来外国から国民を守るはずの武力で独裁者の生活を国民から守っています。

アルジェリアでもリビアでもそうでした。

いまも、シリアの軍隊は自国の国民に銃口を向けています。

国家意識を高めようとする裏には、こんな危険性をはらんでいると思うのは考えすぎでしょうか。

国旗・国歌は人が造ったものです。

その推進には、ある意思があるはずです。

日本人は、リーダーが国旗や国歌を意識させようとした時、過去不幸になりました。

それらを意識しない日本人の国家意識、またそれを超越した人としての尊厳は、豊かな山や川、そして海の恵から自然発生的に生れてきたものだと私は考えています。

だから強制するなと言いたいのです。

(この記事は書き掛けです)