『脳死は人の死』でしょうか

臓器移植法改正で、脳死を人の死とする『A案』が可決成立されました。

自分のことで振り返ると、父方の祖母は交通事故で、数週間後、いわば脳死状態のまま亡くなりました。

話すこともできず、体も動かせません。

こちらの呼びかけも聞こえているのか、解っているのか不明でしたが、今回の法改正であの状態が死となります。

これにはどうも賛成しかねます。

私は日ごろ自分や身の回り、そして社会で起きること事象に対して、自分の意見をきちんと持つように心がけています。

いつからだったかと振り返ると、1回目の成人式からでしたね。

その件に関して、賛成か反対か。

ではなぜ賛成か、どうして反対なのか。きちんと自分なりの理由もできるだけ整理もするように心がけています。

ところが、臓器移植法は、いくら考えても賛成・反対の意見の整理ができません。

今回の法改正で、子供の臓器移植を国内で受けられる道が開け、臓器移植を受けて助かる命がある。これは理解もできます。そして、それだけとるなら賛成です。

しかし、人の死を交通整理みたいに、きちんと仕分けすることができるものでしょうか。

先日アメリカへ心臓移植をするため行った子供さんが、時間が足りずに亡くなりました。

その子の写真を思い浮かべ、祖母のベットでの姿を思い出しても、この件に対して私の意見はまだはっきりしません。

優柔不断なやつだとお笑い下さい。