リスとネズミの違い

今年はネズミ

来年は牛で私の干支

 

ネズミと言えば、

リスもネズミも出っ歯類

ではなくげっ歯類で同じ仲間

顔だけ見ると100%同じです

 

なのになぜリスは可愛いと言われ

ネズミは怖い、汚い、嫌いと言われるのか

おっ です

じゃなく尾ですね

毛でふさふさしているのがリスで、

細いのがネズミです

 

でも、ネズミでも好かれるネズミもいます

それはミッキーマウス

 

ということで、今日はディズニーランドの、は・な・し

ではありません [^^;;

ネズミの話です

 

私が1歳のころですから

後で聞いたものです

1歳違いの弟がいました

両親は忙しいので

弟を布団に寝せて外で畑仕事をして

時々見に来るという生活でした

有るとき、

悲鳴のような鳴き声が聞こえ

慌てて家に駆け込むと、

弟の耳たぶにネズミが噛みついて

ネズミだけに

ちゅうちゅうと血を吸っていたとのこと [^^;;

笑い事ではありませんが

実話です

 

ただ、聞いてから

もう数十年経つので記憶はあいまいです

猫だったような気もしまチュウ [^^;;

 

マージャンを覚えたとき

麻雀を覚えたのは高校2年生でしたね。

麻雀と言うゲームがあるのは知っていましたが、でもやったことはありませんでした。

高校2年の時、隣に座ったO友はラーメン屋の息子。

その父親も私の父と同級生と言う縁で親しくなりました。

そいつと隣の席になったとき麻雀役の下敷きを持ってきていたのです。

「これなんだ」と次から次へと麻雀の役を覚えていきました。

当然授業中。

覚えたらやりたくなりますよね。

そいつが帰るときラーメン屋までくっついていきもう一人父と同級生の息子がいて麻雀です。

弱かったなぁ~。

成績はそれまでは良かったのですが、そこからずるずると、下がる一方です。

卒業するまでマージャンに夢中でしたね。

成績が下がったのは、もちろん自分の責任ですが。

 

そこでの楽しみはもう一つ。

O友のお母さんの作るラーメン。

まるでプロみたい。

というよりプロだから美味しいのは当たり前かな。[^^;;

 

2018.0214まーじゃんIMG_6059

で、いまはセガのゲームでマージャンです。

一回り5分も掛からず終わりますから楽なものです。

 

でも、あまり面白くないですね。

会話が無いので。

もしかしたらマージャンはあまり好きでなかったのかも。[^^;;

 

 

クラス会

高校を卒業して45年になります。

へ~~、もうそんなになるんだと、驚いたふりをしてみても面白くないかな。

2013.0305  1968.03卒業アルバムから3C

あらためて卒業写真を見ると、なんと54人中7人が亡くなっています。

 

私はどこかなぁ~と探してみると、いました、いました、最後列右から8番目ですが、左からも8番目でした。

いま気が付きました。

ということで、今年クラス会を予定しています

 

あのすばらしいおみ足は、いまどうなっているか、楽しみです。[^^;;

 

 

鶏小屋は手づくり

2012.0801昭和29年頃の写真DSCF4910.jpg

この写真は昭和29年。

右から二人目の私は5歳で、母は26歳。

若い!!。み~んな。

腰かけているものはトウモロコシ殻。

ということは、写真を撮ったのは9月頃かな。

後ろの建てかけた建物は鶏小屋ですが、トウモロコシの殻は、内側から壁に取り付けて、いまでいうなら断熱材です。

外壁は、稲わらを練りこんだ土でべたべたと貼り付け完成させます。

撮られた時のことははっきりと記憶していますが、写真の左側に積み上げてある枯草のようなものは、稲わらですから、10月かもしれません。

久しぶりに太陽が出て、チトまぶしい。そんな秋の一コマでしたね。

私って記憶力が良い~~~、と言いたいところですが実は違って、カメラを向けられるのは、年に3回ほど。

つまり珍奇な状況なので、じぃ~っと見つめた結果、私の記憶にも撮れたのです。[^^;;
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昭和29年頃の我が家

2012.0725昭和29年ころの写真DSCF4645.jpg

この写真、昭和29年ころですから、私が5歳です。

カメラ目線は1歳下の弟、坊主頭は私で、父は鶏のエサをやっています。

今でもこの写真を撮られる状況をはっきり覚えていますが、赤平市文京町のお米屋さんのおじさんが、カメラを持って遊びに来た時のものです。

ちなみに、一歳下の弟、いまはある町の市会議員をしていますが、この時のことを覚えていないとのこと。

1歳って、だいぶ違うんだ。[^^;;

懐かしい写真ですが、今では鶏小屋(最近は鶏舎という)でも、こんなぼろ屋はありませんね。実はこれ、詳しくは父の頭の上に見える窓部分、ここはが寝室なのです。

つまり、自宅。

真冬など、吹雪の日は朝起きると、頭の周りは真っ白なんていうこともありましたね。

よく生きていたものです。[^^;;

追伸
ブログを書いて、今頃なんですが、この写真一度使ったような気がしてきました。
もし二度目なら、ごめんなさい。
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赤平青年会議所のこと

なんでだろ~、なんでだろ~、・・・・。これはお笑い、テツandトモ(古ッ)。

でも今日体がだるいのは、なんでだろ~。

午前中北海道サフォーク牧場放牧地の掃除狩り(不要な草を刈り取る)を、ゴムキャタトラクターに乗ってやっていました。

崖から滑り落ちそうになったのが1回。側溝に落ちそうになったのが2回。

体がどうも自由に動かないと思ったら、昨日の就寝は夜中の12時。

いつもは9時過ぎなのに。

そんなことで昨日の話しです。

実はある団体の研修会に出席したのです。

いつもは、研修会だけで終え帰宅するのですが、交流会まで付き合いました。

この団体は赤平生年会議所。

実は、私は25歳から40歳まで、この赤平青年会議所に所属していたのです。

久しぶりの青年会議所の若々しいメンバーとの研修会。

そのまま帰宅は勿体無いと行くことで、夜中の交流会まで。

私の所属していた当時は、50人を越えるメンバーで、それはそれは活気がありました。

いつも喧嘩で。[^^;;

ところが現在は13人とのこと。

行く前から、きっと寂しいだろうなと、一人合点して行くと、ちょっと雰囲気が違いましたね。

人数は少ないですが、やる気、元気、熱気というか、総エネルギー量とも言うべきか、これが50人時代と変わりませんね。

つまり今のメンバーは、一人当りの能力が高そうです。

悔しいけれど。

この人たちが、私の年齢になる頃は、どんな赤平市になっているのか、楽しみです。

でも心配事が一つ。

それは年寄り連中、特に私を含む団塊世代の邪魔。これさえなければと思うのです。

ということで、そろそろ皆で隠居を。[^^;;
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成人式

今日は1月10日。成人式です。

山口県の下関署で、模造刀を持っていた新成人が銃刀法違反で現行犯逮捕されました。

へ~、模造刀なのに逮捕されるんだと、よく記事を読むと『模造刀剣類の携帯の禁止』と言う法律があるようです。

なるほど。

ということは、お土産屋さんで模造刀を買ったら注意をしましょう。

だって帰宅までに警察に見つかると逮捕されることになりますよね。

あっ、でも私は模造刀を買う、じゃなく集める趣味はありません。

模造拳銃も趣味はありません、念のため。

さてそれはともかく、最近の荒れる成人式。

私の時はどうだったかなぁ~と。

いくら思い出そうとしても、出てきません。

あ~~、思い出しました、そういえば成人式には出なかったですね。

なんでだろう、理由は覚えていません。

あっそうだ、一つ思い出しました。

成人式の次の日、相方とアルバイト先の職場で顔を逢わせるなり「成人式に出なかったの?、探したのに」と。

これは、嬉しかったなぁ。

まだ付き合いもしていませんでしたが、この言葉と表情は今でも思い出すことができます。

しばらく後で成人式の写真を見せてもらいましたが、これがもう美人で、・・・。

すいません、ノロケです。[^^;;
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北海道新聞

いつからだったかなぁ~、北海道新聞を読み始めたのは、・・・・思い出せない。

そのくらい昔。

我が家は子供のころ貧しかったので、新聞を継続して読んでいた記憶はありません。

でも、小学校へ入る1年くらい前から、母が新聞の活字を指差してひらがなを教えてくれた記憶があります。

それは昭和30(1955)年頃の話ですから、まぁ、天文学的昔の話になるかな。

最初に覚えた文字が「の」。

次が「い」、でその次が「わ」。

で、「ゐ」ですが、これ読めますか。「い」です。

つまり、「いわゐ」なんですね。小学校へ入る1年前で、この「ゐ」が難しかった。

要するに「い」は解るのに、なぜ下の「い」が「ゐ」なのか、その理由がわからないし、「の」ともよく間違っていました。

そのあと、「ま」を覚えて、母としてはその次に「さ」「み」を覚えさせ、名前を書けるようにして小学校へ入学させたかったようです。

しかし、そのあと盲腸が手遅れになり、緊急手術で1ヶ月半入院。

あと1時間遅れたら危なかったほどの緊急入院だったことは、社会人になってから聞きましたが。

で、今でも覚えていますが、退院後ふらふらの状態で小学校1年へ入学。

つまり、私は自分の名前の「いわい まさみ」の途中「いわい ま  」までしか覚えないで小学校へ入ったのです。

私の住む地域には、当時は幼稚園なんてありませんでした。

今でも覚えていますが、小学校1年の時、10までどころか、数はぜんぜん数えられませんでしたね。

学校へ入ってみると、同じクラスの女の子が1、2、3、4、・・・・・と数えて止まりません。

担任の畑中先生が、途中で止め、「ところで、Sさん、幾つまで数えられるの」と聞いた所、ちょっと首をかしげて、「1000まで数えられます」と言ったのには、驚きました。

と、いっても一つも数えられない私は何がなんだか解らなかったのも事実が。

でも、大変なことだというのは、なんとなく解ったような気が。[^^;;
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赤平西高校 昭和43年卒業 3年C組 クラス会

先日の北海道新聞によると、来年から赤平高校(私が在籍していた当時は赤平西高校)の募集は無くなるとのこと。

つまり我母校はあと3年で廃校になります。(小学校・中学校はとっくに廃校)

赤平の町上げて大騒ぎしていますが、ここにいたってはもうどうにもなら無いでしょう。

で、私はというと、いまから遡ること43年前に赤平西高校を卒業しました。

昨日、昭和43年卒業の3年C組は、初めてのクラス会を43年ぶりに定山渓で開いたのです。

2010.0605赤平西高3Cクラス会IMG_1446.jpg
札幌定山渓温泉にて。

さて全クラス54名中23人の参加、その中で8人が本州からの出席ですから驚きです。

43年ぶりに顔をあわせたのは7人かな。でも、嬉しいことに3秒で顔と名前が一致。

43年の年輪の刻まれ方はすさまじいですね。[^^;;

太っていた人が痩せていたり、痩せていた人が太っていたり、また、頭も限りなく白く薄くと、それはそれは見事なものです。

それぞれに色々な人生があったんでしょうね。

顔のしわも深く長く。

でも、ここに集まることができた人は幸せです。

来ることが出来るほどの、経済力と時間と家族(いる人は)の理解があったからですよね。

もっと言うなら3何C組では、5人が亡くなっているのですから、生きているからこそです。

ということで黙祷から始まりました。

全員のスピーチは楽しいものでした。また、それに続くM中君のプロジェクターに映る写真集は、感動の物語でしたね。

M中君には心から感謝します。

こうして過ごした楽しい3時間はあっという間でしたが、高校時代の写真を見て思ったことが一つ。

あの時代を思い返すと、当時は不満ばかり言ったり、ずいぶんとんがっていたり、すねていたりと、今から考えるとこっけいな自分を思い出します。

でも、高校生時代の写真を見ると、まぶしいほど輝いていたんですね。

み~んな。

若いってそれだけで、価値あるものなんですねぇ~。

ところで、私は、卒業時に幹事に指名されていましたが、恥ずかしながら日常の忙しさにかまけて、幹事として肝心なことは何もしていなかったのです。

だから今回が初なわけで。

ここは笑ってごまかすしかありません。[^^;; ごめんなさい

追伸
M林、M中、O橋、K木の4君にはこの場から感謝します。
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仕事と趣味

今日は私の仕事と趣味の話し。

仕事とは生活に必要なお金を稼ぐ手段。

趣味とは己の欲を満足さるためにお金を使う、ことや物。

仕事は嫌でもやらなくちゃならないのでお金が入ってくる。趣味は自分が好きな時間やことだけで良いからお金を使う。

と、こう私は考えています。

直裁に言うと、仕事はお金が入ってくる。趣味はお金が出て行く。

これで間違っていないかな。

それで自分はどうなんだろうと考えてみました。

仕事は解り安いので置いて。

私の趣味はどうかと言うと。

しばらく前はゴルフでした。でも、お金はともかく時間が掛かり過ぎ、人生残された時間はそう長くも無いのに、ゴルフが趣味では勿体無いと思うようになり、50肩の痛みを理由に止めてしまいました。

その前はコレクター。とにかく何でも集めてみました。

でもこれも、なんの生産性もないゴミの山を作っているだけだと気が付いたとたん、白けて止めてしまいました。

次にグルメ。というか食べ歩き。

胃袋は一つ、こりゃだめだと長続きしませんでしたね。

外国旅行。これはお金と時間が掛かりすぎ、と言う理由で挫折。

良い車は不要。高級なスーツはいらないし、ばくち、女遊び、お酒。どれもこれも興味なし。

何でこうなったのか。

簡単です、私はケチだから。[^^;;

ということで、一番長く続いているのが仕事。『稼ぐ』と『使う』が一緒ですから、これが実に便利。

あれっ、これってもしかしたら、仕事と趣味が一緒。と、気が付いたのが最近です。

私は満足していますが、もしかしたらつまらん人生かも。[^^;;
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