ブログを読み返していると面白いですね。
今一番興味を持っている話題がすぐわかります。
ということで、最近凝っているのがキノコ。
今日は北海道サフォーク牧場内に自生しているエノキダケ(ユキノシタ)を紹介します。
放牧地を広げるため、2年前に結構太い柳の木を倒したんです。
その倒木がキノコにとってちょうど良い腐れ具合なんでしょうね。とにかく凄い量のユキノシタが生えているんです。
毎日キノコ着け。
かなり食費が助かります。[^^;;
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【座右の銘】油断と見栄・過信は身を滅ぼし、ケチとあまのじゃくは誉め言葉
最近政治家のブログにはまっています。
いま面白くて毎日寄るのは、島原市議/松坂まさおさんのブログ『新土佐日記』。
今日の記事は圧巻。一部を紹介しますね。
====ここから
この二つの場所で働いている皆さんには申し訳ないが、この二つの役所は無駄な組織である。無駄を通り越して有害でさえある。しかし悲観することは無い、人事院で働く700名の国家公務員は、どこか別の国の役所が引き受けてくれるから、心配は無用だ。
長崎県の人事委員会事務局は13人の県職員で構成されている。この人たちも、この部署がなくなっても、県庁内の別の部署に移動するだけである。
人事院は谷総裁はじめ三人で、国家公務員の給与が適正になるようあれこれ注文をつけるわけで、かの悪名高き「人事院勧告」がそれだ。700人の官僚(国家公務員)が調査研究して資料をそろえ、国会で承認された3人が合議して勧告を出す。責任は国会議員である。国会議員が国家公務員の適正給与を決めるために「独立行政団体」である外部組織人事院の意見を聞くというわけである。 国会議員が、各自有権者の声を集めて、決めりゃ済む事だ。国家公務員700人に「適正な国家公務員給与原案」を決めさせるなんて、ばかばかしいにも程がある。
・・・・・中略・・・・・
人事院勧告(ジンカン、ジンカンと言っている)。人勧は(表現は悪いが)泥棒の言い訳でしかないのに、「この度は100人以上の企業だけでなく、50人以上の企業のデータも加味しました。」などいわれると、「俺たち5~10人の中小企業をどうしてくれる!」など、もう向こうの土俵に乗せられている。
首長・議会の責任放棄が、ここまで腐った社会をつくってしまったわけだ。自分たちが市民に選ばれたのだと言う大原則を忘れなければ、何も問題はなかったはずなのだ。人事院・人事委員会は不要な組織である。
====ここまで
こんなブログを書きたいものですが、私は単純な天邪鬼、まだまだ根性が座っていません。
市長を首になり、再度市長に立候補した人のブログです。
この人のブログを読みました。首長のまた企業を含むあらゆる組織のトップの理想像はないでしょうか。
====ここから
阿久根市長をおよそ八ヶ月間させていただき、役所の現実に驚き呆れました。仕事に見合わない職員給与と退職金、職員お手盛りの待遇、形ばかりを追いかけての言い訳作り仕事、躾もなっていない、そもそも市長を上司とも思っていないなど、おはなしにならない状態です。「よくもこの程度の役所が市民生活を犠牲にするほどの高い人件費を取ってきたな」と思います。
これらは、市長と議員が「職員に助けてもらわなければ仕事が出来ない」という考えから職員組合と癒着してきた結果です。市民に対する主権者扱いは選挙の時だけでした。市長と議員そして職員が日常的に真実を隠し、市民を裏切ってきました。皆さんは眠らされ、本来の力と責任を奪われてきたのです。市民が覚醒すれば阿久根市政は変えられます。
私は「仕事のできる市役所」に作り変えます。そして公務員階級に取られ過ぎている「市民の税金」を正常化し、給食費の無料化、巡回バスの運行、ゴミ袋や手数料の値下げ、低所得者への生活助成など、行政サービスを大きく向上させます。これは革命です。次世代に誇れる阿久根革命を一緒にやりましょう。
「自治労は税金にたかることと、職員の間に悪平等をつくることしかできない、無駄な組織」です。長いあいだ光熱費も事務所使用料も払わず、市民の税金にたかってきた自治労事務所を市役所から追放します。
====ここまで
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今日の一日。
朝4時半に起きました。
北海道新聞を読みました。
6時に朝ごはんを食べました。
朝ごはんは、・・・・・と。
こんなブログは書かないように心がけています。
じゃどんなブログを書くの?。
一つには、自分の言葉で、自分の考えを書く。これを心がけています。
もう一つ。実名は書かない。
最後に、人の批判は書かない。です。
これを守っているのは、私人であるからです。つまり、公人なら別と言う意味でもあります。
そんなことから、市会議員や市長、国会議員などの政治家のブログにもよく目を通しますが、でも、裏切られてばかりですね。
そう思いながら、今日も探していたら有ったんです、私の期待以上のブログ(日記)が。
群馬県桐生市
『由紀日記』にわやま由紀の議会ノートを、紹介しますね。(本人には了解を得ていません)
http://www5.diary.ne.jp/user/542857/
特に、
『■2009/04/17 (金) 地獄の果てまでつきあって』で、ファンになりました。
====一部コピーします
朝、長野弘子(仮名)から電話があった。
長野は、私の息子と彼女の娘が保育園時代に同級生と言うことで友達になったママトモのひとり。選挙に出ようとした時、数名の友人に決意を話したひとりでもある。出馬すると言うだけで離れていく友人がいた中で、彼女の言った一言が忘れられない。
「庭山さんの決意は分かった。ただ、私は負けるケンカはしないからね。覚悟しといてね」
正直、この一言には緊張感が走ったのを忘れられない。誰になんと言われようと、引き下がる気持ちはなかったけれど、彼女の一言で突っ走る決意ができた。
選挙の時も、シロウト集団の中で指揮をとったのは彼女と言っても過言ではないだろう。もちろん、長野も選挙は初めてのはずだった。が、人の気持ちを引きつける力、人を仕切る手際の良さ、時に涙を誘う浪花節的な話術、物事をハッキリ判断して遠慮なくモノを言う性格は、予想以上に選挙向きだった。選挙中、私も何度、怒られたことか・・・。私だけでなく、前述の田畑や八王子も何度も締められたものだった。
====ここまで
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ぜひ読んで欲しいブログがあります。
一部コピー、詳しくは↓
東京大空襲
今日は、東京大空襲の話にに触れないといけませんね。また、私達は、この日ぐらいは、しっかりとこの悲しい歴史を思い出して、忘れないようにしていかないといけないと思います。
小学時代、「ガラスのうさぎ」という本を読みました。悲しかった。すごく切なかった思い出があります。
その日は、終戦(敗戦が正しいですね)の年(1945年)の3月10日。何故、この日だったかというと、
もう一つ、記事を読んでください。
一部コピー↓
『忘れてはならない東京大空襲 火の壁で逃げ道塞ぐ無差別爆撃』
斉喜広一2009/03/10
3月10日は東京大空襲の日である。その日を前日に控えた産経新聞が、「東京大空襲『勝者の罪』も検証しよう」と題す社説(主張)を掲げた。
昭和20年3月10日、米軍のB29戦略爆撃機の大編隊が、東京下町一帯に無差別爆撃を行った。一夜にして10万人が死亡したと言われる。その凄まじさは、記者も何度か、書物、テレビ等で見たことがある。木造家屋を焼夷弾で焼き尽くし、その猛烈な熱で上昇気流が起き、地上は酸欠状態になったともいう。焼死する前に、酸欠で亡くなった人も少なくない。爆撃後の写真も見たが、それは酷いものである。炭化してし黒くなった遺体が山のように積み重なった写真もある。熱風で遺体が吹き飛ばされて、折り重なったのだという。
しかも、米軍のやり方で見過ごすことができないのは、まず、爆撃目標の周囲に焼夷弾を投下し、「火の壁」を造って逃げ道を塞いだ上で、絨毯爆撃に移っているのだ。明らかに一般市民の殺戮を狙った作戦である。歴史上これほど残忍なやり方で作戦を遂行した戦争は、少なくとも近代では他に例を見ないのではないか。
こんにち、イスラエルによるガザへの攻撃が、無差別爆撃だとして、激しい国際世論の批判にさらされている。が、東京大空襲のようなことが、もしこんにちあったとすれば、たとえ爆撃される国にいかなる非があろうと、到底国際社会はそれを許しはしないだろう。
同年の1月に、米極東空軍司令官が、カーチス・ルメイ少将に代わって、それまでの軍事施設対象の精密爆撃から、無差別爆撃に切り替えられた。明らかな、戦争法規違反である。
もちろん日本もそれ以前に、中国・重慶に対して、無差別爆撃を行ってはいる。が、かりに、連合国の一員としてその報復だったとしても、あまりにも過剰に過ぎるのではないか。
戦後、敗者である日本は、勝者である連合国によって多くの戦争犯罪者が裁かれたが、勝者自身の犯罪は、当然とはいえ、ついに裁かれることがなかった。
今さら、アメリカに東京大空襲をはじめとする、都市への無差別爆撃、そして広島・長崎への原爆投下の責任を、日本から問うということはないだろう。しかし、歴史の事実として、いつかはアメリカ自身の手によって、総括すべき時期が来るであろうことを、期待しておきたい。少なくとも、その事実だけは、アメリカ人自身が知るべきであろう。
本日はおめでとうございます。
え?、何がって?、自分に対して言ってみました。
実は本ブログ、これでちょうど1000個目の記念すべき記事なんで、その喜びの声として。
『よくもまぁ~、こんなに沢山つまらない文章を書いたものだと』
アッ、、、やってしまった。自分でつまらない文章などと言っては駄目ですね。だって読んでいる方がいるんですから。皆さんに失礼な話です。
ということで、ブログ記事の初めを少し読み返してみましたが、なんともなんともど下手な文章で、恥ずかしい限りです、でも今の文章と対して変わりませんね~。
書き始めて3年と8ヶ月経つのに、ちっとも成長していません。
悲しいです。
『誤字脱字』はショッチュウ。『なんだこの言い回し』と思う場所はあっちこっちに。また『意味が不明』、『てにをはがの』もおかしい、等々、こりゃ駄目だという記事を消したら、半分になりそうです。
「じゃぁやめれば?」と言われても「はいそうします」とは決して言いませんよ。なんか癖になったのか楽しいので。
これからも書き続けようかと。
ということで、よろしくお願い致します。[^^;;
では。
====ここから証拠の品(昨日までの記事数です)
e-肉店アイマトン社長日記/岩井政海
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6時からのパーティ。
午後4時半過ぎに自宅を出発、ぎりぎり滑り込みセーフ・・・・・のはずが。
ん、何処だ。無い、あれ?、そんな馬鹿な。会場を探し、その周りを1周、2周・・・と、6周ほど。
花屋さんと、バック屋さん、それとクリーニング屋さん、確認するも誰もそのビルを知らないと言う。
幾らなんでもコリャおかしい。ということで、幹事さんへ連絡。でも留守電。
西友スーパーで、電話帳を調べても見当たらない。こりゃ絶望的だと思った矢先に連絡がきました。
なんと、馬鹿だなぁ~私は。
南1丁目西21丁目が会場だと思っていたら、南1丁目西2丁目だったとは。私の予定表では確かに21丁目となっています。
これじゃ幾ら探しても無いはず、これには悲しいやら腹が立つやら。勿論自分にですよ。
ということで、札幌で開かれる『第1回 北海道ブロガーオフ会』に滑り込みセーフ、じゃなくアウトでの参加。
遅れたので、静かに進入、まずはトイレで呼吸を整えてっと。
で、幹事さんに挨拶。その後仲間に。
どうも後ろめたいからか、みなさん楽しそうに話をする姿がまぶしかったです。
しかも、若いしぃ女性が多いしぃ。
そして積極的ですね~、みなさん。50名ほど出席でしたが22人と名刺交換。
私もまだ大丈夫、5人の名前と顔を覚えました。あとは・・・すいません。
ということで、実に楽しい会でしたね。[^^;;
でもずうずうしくも、遅れて参加のその上に、早めに退散。
『寿司屋のおかみさん』お世話になりました。また呼んでください、今度は、早めには帰りますが、遅れないように参加します。
では。
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