時間にルーズな人との付き合いかた

おは羊ございます。

今日は4時起き。

昨日は3時半。

一昨日は、・・・・覚えていないけれどたぶん3時から5時の間でしょうね。

この状況をずいぶん早起きだなと思わないでください。

実は目が覚めたから『めんどうだ、おきっちまえ』と、どうでもいいことと捉えています。

つまり、基本は私は時間にルーズなんです。

でも、時間にルーズだと商売に支障をきたしますよね。

ですから約束を覚えるのは当然として紙に書いたり人に話おいたりして約束の10分前には行くようにしています。

一番いいのは約束をしないことなのですが。

約束事をしなければ忘れることも無いわけで。[^^;;

 

 

予定表を紙からiPhon(スペルは合っているかな)に替えてから忘れることが無くなりましたが、

アイホンを見るのを忘れることもあります。

 

ということで、約束にルーズな人とは約束しないことです。[^^;;

 

 

製麺機

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追伸

いま4月26日の4時。

実はこの写真をブログに上げたまま居眠りをしてしまいました。

今朝はそのブログはどうだったか考えていたら、気になって目が覚めてしまいました。

で、今回の件でわれながら感心したことがあります。

昨日はパソコンを落としそうになり、慌てて寝ましたがよくぞ保管していたと思います。

 

さて、写真ですが弊社食品スーパー生鮮おろしに導入したラーメンなどを造る製麺機です。

これでラーメン、うどん、そばを造る予定です。

いわば自家製ラーメンですね。

まだ保健所の許可も得ていないので、売り出すのは1ケ月ほど後になりますが美味しい物を造るように、・・・・・現場は頑張ってください

保健所の許可を得て、なおかつ美味しいものができたらまた報告しますね。

 

でも自分を誉めてやりたい。せんめんきと書かなかったのは。[^^;;

 

 

感動二連発

今朝は京都であっさ~~~。

大好きなAPAです。

 

でも、あまり言いたくはありませんが、・・・臭いの悲しいはなしが二つ。

匂いじゃなく臭い。

バス室が。

人間も1ケ月風呂に入らなかったらこんな臭いなんだろうな、という臭いがするのです。

トイレに行くたび、歯を磨くのに、洗顔、風呂、そのたび臭いのシャワー。

・・・もう助けてぇ~。

 

もう一つ煙草嫌いの私が一番気にするこのにおい。

部屋はエスカレーターより一番遠いばしょ。

その廊下がタバコ臭で吐き気がするほど(吐き気は私だけかもしれませんが)。

と、これを書いているいま、なんとベットの後ろからたばこの臭いがするではありませんか。

先ほどまでなかったのに。

これは絶対となりの409号室のお客さんだ。

・・・もう嫌~。

 

ここからタイトルの話し。

夕べの秘密
ゆうべのことは もう聞かないで
あなたにあげた わたしの秘密
幸せすぎて 幸せすぎて

これは小川知子が歌っていたと思っていたのですが、伊東ゆかりも歌ったとネットに出ていましたがそうだったかなぁ~。

 

2017.0413利之助MG_1593

別に秘密でも何でもありませんが、昨夜はここ利之助 烏丸御池総本店

もちろん仕事がらみで。

ということで仕事のことは、ひ・み・つ。[^^;;

 

2017.0413俊之助 IMG_1596

ひとことでいうとおでん屋さん。

しかし、ただのおでんではありません。

私がぐだぐだいうより、詳しくは

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 ということで、大いに満足。

 

ところがこの驚きにもう一つ出あったのです。

ホテルまでタクシーで移動したのですが運転手さんの態度がちょっと違うのです。

で、聞きました。

「お宅のタクシー会社はどちらですか」と。

「MKタクシーです」。

納得。

MKタクシーに乗るのは初めてですが、その運転マナーなどの良さは聞いていました。

その良さはタクシーに乗ったとたん(正確には乗る前から)感じさせるものでした。

もちろん丁寧な接客態度や言葉があります。

私の感動は、そのすべてが自然になされていたからです。

接客をしているとの態度言葉を正面に出した無理やり感が無いのです。

 

日本中のタクシーがMKのようにになったら絶対会社は儲かりますよ。

 

だんだんタバコ臭が強くなってきた。

なんで?

壁が薄いのかな。

 

ちょっと早いけれどチェックアウトしよう。[^^;;

 

朝食は餌

おはようございます。

いま大阪の新阪急ホテルです。

 

朝食はホテル近くの地下のきっちゃてんでトーストです。

凄いですね。

なにがって味じゃなく(私好みの味で満足)システム化された提供の方法に目を奪われていました。

好きなトーストを小皿にとり少し前に進むと飲み物を聞いてきます。

で、もう一歩進むと会計。

これを3人の若い女性がてきぱきとこなしていました。

お客様は100人以上はいたはずです。

見惚れていましたが、残念ながら女性にではなくその動作に。

これ、本当です。[^^;;

 

2017.0412朝食サンマルクIMG_1585

 

通路側に面した席に着き普段は食べないトーストを口にしていました。

通勤でしょうかそれとも帰宅?

いずれにしても目の前を沢山の人が流れています。

ぼやぁ~と見ていましたが、あることに気が付きました。

 

20年ほど前までニワトリを飼育していました。

1976年頃、当時としては最新の設備を導入しました。

日本で初輸入されたという鶏卵搬送システムもありました。

基本的にはいまも同じような仕組みでしょうね。

30cm四方の小さな籠に鶏が入り、それがぎっしりと並びます。

約100m。

一つの鶏舎は10000万羽ほど収容。

籠に入ったニワトリの目の前へチェーンで餌が運ばれていきます。

産んだ卵はこれまたベルトに乗り手前に運ばれてきます。

その後は省略。[^^;;

 

ちょっと長くなりましたが、目の前を流れていく人の波を見て餌が流れていくその養鶏システムを思い出したのです。

ん~ちょっと違うかな、餌を取り(稼ぎ)に人が流れていく、かな。

そうそう、その人の流れも後ろの3人の若い女性が提供すべく完成されたシステムも、これは養鶏と同じだと。

餌(私の場合はトースト)を持って機械的に流れていくと、卵(つまり会計)はレジに吸収される。

ね、同じでしょ。

 

そう考えると、養鶏業のシステムは40年も前の話しですから、ずいぶん進んでいたものですね。

 

あっもうひとつ、餌である点も同じ。[^^;;

 

 

鳥インフルエンザ

 しらけ鳥、飛んで行く、南の空へ、怖い、怖い。

ちょっと変えてありますが、元はかなり昔流行った小松政男さんの歌、・・・ですよね。

鳥類を飼育する我が農場としてはなにが怖いかというと、鳥インフルエンザです。

その媒介役の野鳥が5月まで千島列島や樺太(ごめん、サハリンでした)へ帰ります。

日本に白鳥など渡り鳥がいなくなるまで気が抜けません。

 

昨年は北海道も十勝地方で鳥インフルエンザが発生しました。

年が明けて、茨城や千葉で鳥インフルエンザが出ています。

そんなことで、この歌となった次第です。

 

2017.0403白鳥IMG_1453

写真右下に見える5羽の白鳥。

これが怖い、かもしれません。

 

2017.0403撤去した巣箱IMG_1457

そんなことで、農場周りの小鳥の巣箱20箱程度を撤去しました。

全然関係ないかもしれませんが、わざわざ怖がる野鳥を寄せること無いだろうと思うのです。

 

そんなことで野鳥に田畑で餌をやる行為は止めて欲しいのですが、でも大きな声で言えないのがつらい。

そうだ、文字だけ大きくしよう、と言うことでご容赦を。[^^;;

 

 

ブログ12年目

このブログは2005年4月1日が書き始めですから今日でまるまる12年。

乾草は、じゃなく完走でもなく感想は良く続いたなと。

飽きっぽい性格なのに、よくここまで続いたものだと自分を誉めてやりたい。(と言っていた人がいたなぁ~)

 

====最初のブログはこれ

私の中に今も生きつづける祖母の教え
2005/04/01

耳の後ろは特にきれいに洗うんだよ。

むかし私は子供のころ「顔を洗う時は、耳の後ろを特にきれいに洗うんだよ」と、祖母によく注意されました

====ここまで抜粋

 

2017.0331夕焼け2IMG_1435

久しぶりに西を見たら、当然のようにまだ山に雪が残っていた。

去年も、今年もいつものようにおもうけれど、春はまだかなぁ~。

 

「よし!、むかえに行こう」と思ったのは今年初めて。[^^;;

 

 

みな様、風邪の季節を迎えて生活はどうしていますか。

いや、と言うのも、

私の風邪予防対策は予防注射はもちろんのこと、『帰宅したら、手を洗う』『うがいをする』は欠かしません。

ほかにも『周りに風邪をひいている人がいたらマスクをする』『怪しいと思ったら、すぐ病院へ行く』『冬は、できるだけお日様に当たる』『ビタミンBを取る』などなど。

 

2017.0322 お茶IMG_1324

このお茶を飲むのも。

 

こんなにやっているのにと、風邪をひいたらがっかりします。

おちゃぁ~~~。[^^;;

 

 

東日本大震災6年目

東日本大震災から6年目。

明日はあの大災害を日本中が思い出す日です。

 

みながそうであったように私もこの日は必ず思い出します。

当時私は自宅でテレビをつけながらパソコンで仕事をしていました。

2011年3月11日2時46分過ぎ、突然ものすごい揺れ。

1968年5月の十勝沖地震の時は畑で草取りをしていました。

それより確実に大きい地震を感じたのです。

テレビに目をやると画面が変わり津波の映像です。

田畑をかけ上るように波が上がっていきます。

ビニールハウスを飲みこみながら。

家を分け入りながら。

 

チャンネルを変えると橋の上に沢山の人だかりができています。

そんな時、犠牲者がこれほど出るとはだれも思わなかったことでしょう。

橋の上やビルの屋上の人もまさか自分が飲み込まれるとは思いもしなかったことでしょう。

テレビは道路を必死に逃げる車を追っています。

『あっ津波にのみこまれる』と思った瞬間画像は切りかわりました。

たぶん間に合わなかったのでしょう。

落ち着いて考える時間のいまあらためて思うのは、記憶に残ったり記録に残されたりしても、

あの教訓は生かされているのかと。