天敵とライバル

天敵とは、特定生物の死亡要因となる生物種のことである。 生物学以外では、不倶戴天の敵、自分が苦手とする人という意味などで使われることがある。

ライバルは、同等もしくはそれ以上の実力を持つ競争相手の意味。好敵手、宿敵と和訳されることがある。ウィキペディアから

 

家畜を飼育しているときの天敵は

アライグマ、カラス、捨て猫、迷い犬、ネズミ、キツネなど

これを被害額の多い順に並べ替えると

ネズミアライグマカラスがトップスリーです

 

しかし、これらを自分たちで勝手に退治して良いかと言うと

ネズミ以外

動物保護法が有ってできません

ネズミは殺鼠剤を中心に

ホーマックで粘着シートなど

ネズミ捕りを仕掛けて退治をします

ねずみ捕獲器ブラックBOX A type No.103 栄工業

ネズミに対しては過去色々使ってみましたがこれが一番いいですね

大型のネズミがゴロゴロ入ってきます

一晩に最高6匹

過去10年で千匹とは言いませんが

数百匹は捕獲したでしょうね

いまこれを家畜の施設に10個ほど仕掛けてあります

 

一応確認です

一生懸命書いていますが

広告費を貰っているわけではありません

念のため [^^;;

 

アライグマを捕獲するためには

講習を受け許可を得

籠罠を市役所から借りて設置します

過去3年で20匹ほど捕獲したでしょうか

 

さてカラスです

これはどうにもなりません

カラスの勝って状態 [^^;;

対策としては

せいぜい畜舎に入らないようにネットを張るくらいかな

 

ということで

この天敵に対する対処を難しさから言うと

カラスネズミアライグマとなります

 

自分が苦手とする人いう意味では

相方は天敵でもありますね [^^;;

 

 

マイナス18℃

おはようございます

 

今朝はマイナス18℃

最高のマイナスでした [^^;;

でも、これで終わりではありません

2月いっぱいこれ以上の寒さを警戒する必要があります

しかし、ここまでくると

寒いのは通り越して

全てが凍り付く状態になってしまいます

 

厚手の服でその寒さから身を守るのですが

それは

外出時だけではありませんよ

家の中にいても

 

自分の身は自分で守る

そんなのは当然です

 

これも

 

全国感染者41,487人と

北海道新聞に載っていました

他の新聞は、・・・分かりませんが [^^;;

ほとんどがオミクロンなんでしょうね

このままいくと医療崩壊も目前

・・・かも

 

ここまでくると

怖いと言うだけでは何の解決にもなりません

自分の身は自分で守る

・・・とは言っても

全てを覚悟しなければならない気がします

 

畜舎の水道水凍結も [^^;;

 

ネットニュース

ほぼ毎日

起床後ネットでニュースを読みます

 

「イスラエルで4回目の新型コロナワクチン接種」

インフルエンザワクチンの効果は疑問だね

 

「南アフリカで新型コロナ感染のピークを迎えた」

もしかしたらワクチンをしなくても感染が蔓延したらそのあと収束するのでは

 

「一日の感染者数

米国   758,000人
フランス 265,000人
英国   210,000人
イタリア 170,000人
日本       6,000人」

人口を勘案したら日本の感染者が極端に少ないのは、マスク、手洗い、ウガイかな

 

ということで予防接種3回目はやめようかな

針に刺されるのは痛いし [^^;;

 

北風邪と台風

インフルエンザは北から南へ北風邪に乗って行きますが

北海道の人にとって台風は南からきます

例のオミクロン台風

沖縄では毎日倍倍と増えているようで

こりゃ困ったと

やっとアメリカ軍も動き始めたのかな

 

いくらアメリカ軍が強くても

オミクロン台風には勝てないでしょうね

 

台風に勝つ方法なんて、

・・・・ありません

じっと雨風が通り過ぎるのを待つ

これだけです

やれたとしても雨風をまともに受けない準備だけです

 

で、

台風一過青空が広がる [^^;;

これはいつものこと

 

その沖縄の会議でこう言われたとネットニュースにありました

 

・・・オミクロン株感染者50人のうち、症状があったのは48人。内訳は発熱が36人で最も多く、せき(29人)、全身倦怠(けんたい)感(25人)、咽頭(いんとう)痛(22人)と続き・・・

 

これじゃ普通の風邪ですね

 

でも間違いないのは

オミクロンはデルタより強いことです

だって、

オミクロンが広がったらデルタの出番はないようで引っこみましたから

そういえば

デルタが出始めたらアルファの話しも出なくなりました

そう考えるとインフルエンザより怖く

強さは

インフルエンザ、アルファデルタ、オミクロンとなりますが

死者は逆に少ないから

アルファ、デルタ、オミクロン、じゃないかな

ん?、インフルエンザは何処へ行ったと思ったら

今日のニュースを見る限り

オミクロン=インフルエンザ [^^;;

 

 

対照的

対照的とは

① 二つの事物を互いに比較してみるさま。 照らし合わせてみるの都合の良いさま。 ② 対立する事物のちがいが著しいさま。

こうありました

 

先日

鉄工場で働く人たちの仕事ぶりを書きました

土砂降りの現場で鉄との格闘で真っ黒になりながら仕事をしていた人たち

過酷な仕事にもかかわらずニコニコと楽しそうに働いていたとも

 

その時世の中ってこのような人たちが支え動かしているんだなと思ったものです

 

片や大企業との契約の場に立ち会った時のことです

契約の場ですから条件提示でぶつかり合います

こちらの意見を出しても

自分の都合を一方的に説明し

検討しますと言いながら

実は時間稼ぎが見え見え

 

契約とは、複数の者の合意によって当事者間に法律上の権利義務を発生させる制度。合意のうち、法的な拘束力を持つことを期待して行われるもののことで、贈与・売買・交換・賃貸・請負・雇用・委任・寄託など「誰と誰が、何を幾らで、どのようにする。不履行時には、どのようにする。」に関するものが多い。 ウィキペディアから

 

このように

契約は双方の意見の合意が前提です

しかし、その大企業さんは

会社の都合優先で

鼻から

こちらの意見は聞き置くだけなのです

 

ぜんぜん楽しくはありませんでした [^^;;

 

昭和 平成 令和

1949年昭和24年に生まれた私は

1989年に40歳となりその年に平成になりました

2019年は70歳で令和入りです

 

覚えやすく並んだものです

 

20歳ころ自覚したことがあります

元号の変遷は自分の人生とリンクするんだろうなと

 

まさにそうなりました

40歳前は昭和

さんざん言われたものです

「本当の仕事ができるのは40歳からだ」

「それまでは勉強だよ」

また「仕事が面白くなるのは40歳過ぎてからだ」とも

 

この言葉には反発したものです

20代は無我夢中で仕事をしていました

仕事が面白かったものでそれで満足でした

 

30代になった時

大先輩達から「本当の仕事は40代からだ」と言われるのはまだしも

同年代の人たちからも「仕事は40代からだ」と聞くと

遊びの口実で言っているじゃないか

仕事から逃げているだけじゃないかと反発したものです

 

今もその考えに変わりません

 

定年

これも変な言葉です

定年・停年とは、企業や公務に勤める正規雇用者で、ある一定の年齢に達したら仕事を退職・退官する場合のその年齢のこと。またそうした仕組みによって雇用関係が終了し、退職・退官すること。労働者が一定の年齢に達すると自動的に雇用関係が終了する制度を「定年制」という。 ウィキペディア

 

これって機械的に線を引くことですよね

能力、体力、気力、意欲など個人差は無視

ある日の誕生日にその年齢になったからと言って

仕事を辞めさせるって納得できません

 

かたや

いくつになっても仕事にしがみつく人もいます

もう体力の限界はとうに過ぎているのに

欲だけで仕事をし続ける

こんな人もいます

老害社長のことです

若い人は大迷惑

さすがにこれには大反対です

 

じゃぁ、どうすればいいか

分かりませんねぇ~

 

自分で答えを見つけるしか方法は無いのかもしれません

考えることに定年はないので [^^;;

 

ビジネス手帳

富士通でニューイヤー駅伝の優勝旗を紛失したとニュースになっていました

当事者以外は無関心だったのでしょうね

しかし、それを責められません

 

私も経験があります [^^;;

 

まず、2018年1月14日のブログに目を通してください

===ここから

会社の社長を辞めようと思った時、余分な物を持つのもやめようと思いました。

理由はいろいろありますが、一番大きいのはいずれこの世とおさらばするわけで。その時、お金も物も持っていけないでしょ。

ではどうやって物を減らすか。そんなことで、B5手帳なんです。まだ仕事も少々引きずっていますから名刺をいただきます。

美味しいレストランに行ったら橋袋や店舗名刺を、年をとると病院とは縁を切れません病院の予約表や薬の明細、写真もと思いましたが写真はアイフォンなので無し。

旅先のカタログ、後で役に立つかなと取ってある領収書。何でもかんでもこのビジネス手帳に貼り付けます。そんなことでこの手帳に収まらないものは、持たないようにしています。

2018.1114手帳G_0037

そうしてから3年目。そろそろ来年の手帳を用意しなければなりません。父親の年齢まで生きたとしてあと20冊ここに並びます

ずいぶん少ないなぁ~ [^^;;

===ここまで

 

こうして2020年までの5冊になったビジネス手帳を

先日捨てられました

だれが、いつ、どこへ捨てたか分かりません

いわば、富士通状態 [^^;;

で、いまはというと

1冊から始まりです

父親の年齢まで生きたとして、あと15冊です [^^;;

 

 

妊娠中

おは羊ございます

羊の出産予定は来年の1月からなので

あとひと月もありません

羊の妊娠期間は5ケ月

お腹の大きさが目立つ羊たちが

ちらほらの今日このごろです

ね!

分かるでしょ

 

話しは変わって性教育の話です

もちろんその道のプロじゃないので聞き流してもらってokです

 

子どもに

「赤ちゃんは何処から生まれるの?」とか

聞かれたらどう答えますか

その問いを予測して準備している人はいるのかな

ほとんどの人は「@@、・・・・・」でしょうね

 

自分が子供の頃や子育ての頃は

周りにはいつも動物がいました

 

ニワトリの卵が

お尻からポロポロうまれるのを毎日のように見ていました

ヤギが赤ちゃんを産むのも目にしています

ブタも羊もワンちゃんも

 

子どもの頃ですよ

 

どうやったら赤ちゃんがおなかの中にできるのか

これだって

ヤギの交配を見ていたので

なんとなく理解していました

でも小学校4年生頃に

馬の交配を見たときはびっくりしましたが

 

そんな環境の中

あれもこれも

親のひとこと

「人間も一緒だよ」のこの言葉で納得でしたね

 

いまは

身の回りに家畜はいないでしょうから

どうやって教えるのか

・・、・・・・・」  [^^;;

 

 

いのちをいただく

出典:西日本新聞社「いのちをいただく」
著者 内田美智子 諸江和美
監修 佐藤剛史

いのちをいただく

===ここから

【いのちをいただく】
坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。牛を殺して、お肉にする仕事です。
坂本さんはこの仕事がずっといやでした。牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。だから、大切な仕事だということは分かっています。でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。
坂本さんの子どもは、小学3年生です。しのぶ君という男の子です。
ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。
いよいよ、参観日がやってきました。
「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」
坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、 小学校の門をくぐりました。
授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。先生が子どもたち一人一人に「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」「どんな仕事ですか?」と尋ねていました。
しのぶ君の番になりました。坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。
「肉屋です。普通の肉屋です」
坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。
坂本さんが家で新聞を読んでいると、 しのぶ君が帰ってきました。
「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」
何で急にそんなことを言い出すのだろうと坂本さんが不思議に思って聞き返すと、しのぶ君は学校の帰り際に、 担任の先生に呼び止められてこう言われたというのです。
「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」
「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん…」
「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ。」
しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、「お父さんの仕事はすごかとやね!」と言いました。その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。
ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。
坂本さんが 「明日の牛ばいねぇ…」 と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。坂本さんは 「危なかねぇ…」 と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。
すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。
「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」
「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」
そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。坂本さんは 「見なきゃよかった」 と思いました。
トラックの運転席から 女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。
「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、よろしくお願いします」
坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」 と思いました。そして思いついたのが、 明日の仕事を休むことでした。坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。
「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる…」
そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん…」と言ってしばらく黙った後、 テレビに目を移しました。
その夜、 いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。
「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」
坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。
朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。
「行ってくるけん!」元気な声と扉を開ける音がしました。
その直後、玄関がまた開いて「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」としのぶ君が叫んでいます。坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。
その声を聞くとしのぶ君は「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。
「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」とお母さん。
坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。少し早く着いたのでみいちゃんをそっと見に行きました。牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するような ポーズをとりました。坂本さんは迷いましたが、 そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。
坂本さんが、
「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう…」
と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、
「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」
と言い聞かせました。
牛を殺し解体する、その時が来ました。
坂本さんが、
「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」
と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。その時、みいちゃんの大きな目から 涙がこぼれ落ちてきました。坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。
そして、坂本さんが、 ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、 少しも動くことはありませんでした。普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、 倒れた後に大暴れするそうです。
次の日、 おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみじみとこう言いました。
「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、 みんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが、『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』って言うたら、孫は泣きながら、『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ。』て言うて食べました。ありがとうございました」
坂本さんは、もう少しこの仕事を 続けようと思いました。
ある学校で、保護者の一人から、「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。
「なんという常識のない保護者なんだ!」と片付けるのは簡単です。でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?
現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。そしてその結果、 食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。
私たちは 奪われた命の意味も考えずに、毎日肉を食べています。
動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の思いも知らないまま、肉を食べています。動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。
命をいただくことに対しての「思い」。
お肉を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」
お野菜を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」
そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?
お肉を食べて「うぇ~、マズッ!」
お野菜を食べて「うぇ~、マズッ!」
そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?
食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。
今日もまた、 食べられることへの感謝の言葉、「ありがとうございます。感謝します。いただきます」。
食べているときの「美味しい!」という言葉。
そして食べ終わった後の、「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした」
という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。もちろん、食べ残しをせずに。
食べ物が、あなたの体を作ります。あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。喜びに満ちた人生を過ごすこと。それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。
みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう!

 

===ここまで

 

家畜飼育の現場からでした [^^;;

 

現場の仕事は尊いのに

先日

鉄工場で働く人たちとご一緒しました

現場で鉄との格闘で真っ黒になりながら

しかも土砂降りの中仕事をしていました

 

ニコニコと楽しそうに

間違いなく自分の意思で働いていたのです

 

その時思ったものです

世の中ってこのような人たちが動かしているんだなと

 

田圃に入る人とかと

こう書こうとして思いだしました

 

それは大昔のことだったと

 

いまはトラクターに乗り

田植えは田植え機を運転して

稲刈りはコンバイン

 

いやいやそれどころかあと数年で

トラクターや田植え期の運転席にはコンピューターが

稲刈り器の運転席にもコンピューターが

そんな時代がすぐそこまで来ています

 

そうなったら仕事の楽しさは何処になるのでしょう

収穫量かな

それとも収穫したコメを売ったお金の額でしょうか

いやいや銀行通帳の数字でしょう [^^;;

 

私も家畜の糞にまみれながら仕事をしてきましたから

現場での仕事の楽しさは分かります

糞の臭い

埃や鳴き声

そんな中での仕事は尊いものです

 

だから今でも家畜飼育の現場が好きなんです

 

ん?

何を書こうとしていた? [^^;;