道義的責任とは

出ました、小沢元民主党代表に対しての「道義的な責任をとれ」という言葉。

法的な責任は分かりやすいですよね。

法律という一定の決まりにより責任を取りなさいということですから、法律で裁かれ刑が確定し、刑を受け入れます。

それに反して、道義的責任とは、人の心や感情にかかわるもので、求めるものは人によってバラバラなので、解釈は難しくなります。

また、この道義的責任は、法律よりもっと高尚な道徳責任と言い換えてもいいかもしれません。

したがって「道義的責任をとれ」の言葉には、二つの意味で矛盾が発生します。

まず一つ目は、責任をとれという言葉には、追及する側の「私の満足いく行動をせよ」との言が示さています。

もっと言うと、人の心によって基準のあいまいな言葉で責任をとれとは、責任は無いというに等しっくなってしまいます。

なぜなら、道義的責任は求める側の主観であり、法的責任の客観的な判断基準から遠くなっていくではありませんか。

二つ目には、「道義的責任をとれ」と、国会議員はそんなことを言える立場にないということです。

なぜなら、国会議員は法律を作るのが仕事。

で、元代表はその法律で無罪となりました。

自分たちの作った法律で無罪となったので、次は法律より高度であいまいな責任たる道徳上の責任を追及をしようとする。

これは、法律を無意味なものし、結論は、「天に唾する」行為でもあります。

いずれにしても、政治家の皆さんは、政争はそろそろ終わりにして東北復興を真剣に考えてほしいものです。

私はこれから清掃です。[^^;;
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