この写真は昭和33年ですから、もう47年も前になります。
寂しいテーブルの上に、ご飯茶碗がそれぞれに1個、みんなで箸を付けるおかずの入った小皿が一つ。
他に小鉢が2個。この小鉢のおかずは私(9歳)と弟(8歳)の前にあります。それに醤油入れが一つです。
これでも私たちには楽しい我が家でした。一度も貧しいと思ったことはありませんね。
昭和33年頃の我が家の食事風景
しかし、今回あらためて写真を見ると、父の食卓の前にお酒はありません。今は晩酌をしていますが、当時はそんな余裕もなかったのでしょう。
それより、この写真を見て驚くと言うかせつないと思うのは、父と母の食膳におかずがありません。ご飯だけです。
私たち兄弟の前におかずの小鉢が有るということは、自分たちは食べないでも成長盛りの子供にひもじい思いをさせないとの考えからでしょう。
もっとも、当時私たち子供は、両親がそんな配慮をしていることに気も付きませんでした。
戦後の傷もまだ癒えない日本ですから、全体に貧しいとは言え、後から考えると、赤平の市街地はこの頃、石炭の増産という国策で、絶頂期を迎えていたのです。
しかし、傾斜地を開き畑作農業を少しばかり営む我が家に、その恩恵は一つもありませんでした。
空っぽの茶箪笥と、何も乗っていない食卓風景ですが、私たち一家の希望はこのまなざしの奥に見ることが出来ます。
こんな時代に育った私は、いまでも本能的にでしょうか、贅沢はできません。
1枚の写真からも学べますが、お金のあるなしで幸せが決まるとはどうしても思えないのです。
貧しい中で両親の見ている先は、希望です。未来に対する夢です。
幸せか不幸かは、環境やましてやお金にあるのではなく、自分の心の向いている方向にあるような気がします。
しかし、だからと言ってお金を不要だとは言いません。
お金で幸せは買えませんが、お金の使い方の上手な人、下手な人では、その度合いはずいぶん違うでしょうから。
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