『あまのじゃく』は誉め言葉(1)

『あまのじゃく』は、漢字で書くと天邪鬼。または天邪久となっています。

意味は、昔話に出てくる悪者のこと。人に逆らい、人の邪魔をする。また、わざと人の言に逆らい、片意地を通す者。

辞書ではこうなっています。

私は子供の頃、『あまのじゃく』とは誉め言葉だと思っていました。いつ頃からでしょうか、そこは思い出せませんが。

一生懸命考えても思い出せません。

人が右を向けと言えば、左を向きたくなる。やるなと言えば、やりたくなる。誉められれば、怒られようとする。数え上げたらきりがありません。

人に指図をされることは特に嫌なんです。

中学の卒業式を前に、職員室へ行きました。先生から一人ずつノートに言葉を書いていただきました。

その中に、「お前は、とんでもないあまのじゃくだった」。「へそ曲がりだった」。そのようなことが幾つも書かれてありました。

当時の私はその言葉を見て「あ~、俺はこんなに評価されていたんだ」と、嬉しくなったものです。

しかし、いま考えるとこれはまるで逆ですね。「お前はとんでもない人間なんだぞ」と、こういう意味でしょう。いまなら解るんですけどね~。

小学生、中学生のとき、なぜ辞書を見なかったのかと今になって思いますが。
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腐敗の温床、権力の傘の下

幾ら小さな会社の社長でも、社内ではそれなりの権力を持っています。(小さな声で言いますが、私もです)

ほとんどの零細企業の社長は、こじんまりした権力でも、3年、5年、10年と、年数を重ねるにしたがって、その権力を通常の自分の力と過信していきます。

それが身につくと、行為、行動は、不遜になり、横暴となって最後は裸の王様となっていきます。

ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が死去しました。

今日の新聞はかなりの紙面を使いそのことを報道しています。

過去に話した言葉を読んでいると、すばらしい人だったんだとあらためてその偉大な業績に、感心しますね~。

それに対してコメントできるものでは有りませんが、一つだけ。

過去に遡り、自分たちの行いを反省しているのには、いちばん驚きました。

世界でもっとも大きな権威を持つ団体。それもそのトップが、素直に過去の行いを反省しているのですから。

これを自分の身の回りに置き換え考えると、政治家、官僚、大企業のトップ、等々続く失脚に、「なぜ?」という疑問の答がここに有るような気がします。

小心者社長も、長くそのいすに座っていると、やぶれ傘の権力と言えど、傘の下はときに居心地の良い場合も有ります。

例えば、お金の心配の無い社長とは、実に居心地の良いものです。

権威の伴わない権力は、内から崩壊することを知らなければなりません。

偉そうなことを行っていますが、自戒の念として。
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トイレ掃除をすると美人になる

トイレを掃除すると美人になる。このような話を、聞いたことはありませんか。

これ、ほんとだと思いますか。それともうそ。実は、これは本当の話です。私は経験者ですから。

これは母の貴重な口癖で、この話は私が子供の頃のことです。

あの~、行きがかり上こんな書き方になりましたが、母は元気に生活していますので、念のため。

母が小学生の妹に「トイレを掃除すると美人になるんだよ」と、口癖のように掃除をさせようとしているのを、いま思い出しました。

当時はなにぶん子供だったので、母は自分がトイレ掃除が嫌なものだからそう言っているのだと思っていました。

最近考えるにどうも違うようです。

これは他の人の見えないところで、人の嫌がることを率先してするなどの努力は、人間形成にプラスに働くと言う教だと思うのです。

でも、妹は美人になりたくなかったようで、トイレを掃除している姿を見たことはありません。

ちなみに妻にも小さい頃「トイレを掃除すると美人になるよ」と、言われたかどうか聞いたら「言われた」とのこと。

妻は「掃除をした」とのこと。どうりで美人です。[^^]

ついでに言うと、私の娘がトイレ掃除をしているのを見た事はありません。

この教育の仕方は妻に責任があると考えています。しかし、育った娘を見ていると、この教えは外れることもあるんだと思ったのは親ばかとでも言ぅてください。

ここまで書いた文章を妻に見せたら物凄い剣幕で怒られました。

「あの子は、トイレ掃除をしましたよ」と。

やっぱり、そうかぁ。
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年金を支給ミスしたが、未払いの方が多い不思議。

今日の新聞記事から。

社会保険庁が、年金の支給ミスをしていました。金額は380億円。その金額の多さにも吃驚しましたが、もっと驚いたことがあります。

それは、過払いが91億円。未払いが289億円の部分です。笑えるのは、同じ間違いでも、支払額を少なく間違えるほうへ多かった点です。

えらい。無意識のうちに少なく間違っているとは。

ところがこれは無意識ではないんですね。ひとつ思い出したんです。

ちょと前に同僚だった人で、むかし社会保険庁に勤めていた人です。

その人の話では、年金を受け取りに来た人が、書類を書き間違え少なく受け取るような状況だったので、それを教えてあげたとのこと。

そうすると、後で上司に呼ばれ、お客さん(そう言ったかどうかは定かではありません)が、気付かなかったら「余分なことは言うな、間違えたのは先方で、コチラには教える義務は無い」と、強く叱責されたとのこと。

今日の新聞記事で、それを思い出してしまいました。

ちなみに、その同僚は30年も前に社会保険庁に務めていたのですから、今日の新聞記事は、その時となにも変わっていないことを証明しています。

これには驚きでもあります。

しかし、30年昔と現在は大きく違います。いくら厚いベールに包まれた官庁内の情報でも、簡単にインターネット等を通じて、世間へ知れてしまうことです。

官庁にとってはつらい世の中でしょうが、私たち市民にとってはインターネットほど強い見方と言うか、道具はありませんね。

この道具、これから上手に使いたいものです。
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私の中に今も生きつづける祖母の教え

耳の後ろは特にきれいに洗うんだよ。

むかし私は子供のころ「顔を洗う時は、耳の後ろを特にきれいに洗うんだよ」と、祖母によく注意されました

それは強烈な記憶としていまも残っています。

なぜなら、耳を引きちぎれるかと思うほど、引っ張りながらの教えだったのです。

これは見えないところほど気を配ってきれいにしなさいという教えだと、今はありがた~く思っています。

ほんとうです。(笑)

また、男は出先で何か有ったら困るから、下着は古くても良いから清潔に洗濯された物を着て家を出なさいとも言われました。この教えも根本は同じでしょうね。

今ほど清潔な環境に無かった昔の事ですが、二つの基本は今だに普遍だと考えています。

かなり硬いで出しになりましたが、こんな私です。

これからもよろしくお願いいたします。
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