先日の北海道新聞によると、来年から赤平高校(私が在籍していた当時は赤平西高校)の募集は無くなるとのこと。
つまり我母校はあと3年で廃校になります。(小学校・中学校はとっくに廃校)
赤平の町上げて大騒ぎしていますが、ここにいたってはもうどうにもなら無いでしょう。
で、私はというと、いまから遡ること43年前に赤平西高校を卒業しました。
昨日、昭和43年卒業の3年C組は、初めてのクラス会を43年ぶりに定山渓で開いたのです。
札幌定山渓温泉にて。
さて全クラス54名中23人の参加、その中で8人が本州からの出席ですから驚きです。
43年ぶりに顔をあわせたのは7人かな。でも、嬉しいことに3秒で顔と名前が一致。
43年の年輪の刻まれ方はすさまじいですね。[^^;;
太っていた人が痩せていたり、痩せていた人が太っていたり、また、頭も限りなく白く薄くと、それはそれは見事なものです。
それぞれに色々な人生があったんでしょうね。
顔のしわも深く長く。
でも、ここに集まることができた人は幸せです。
来ることが出来るほどの、経済力と時間と家族(いる人は)の理解があったからですよね。
もっと言うなら3何C組では、5人が亡くなっているのですから、生きているからこそです。
ということで黙祷から始まりました。
全員のスピーチは楽しいものでした。また、それに続くM中君のプロジェクターに映る写真集は、感動の物語でしたね。
M中君には心から感謝します。
こうして過ごした楽しい3時間はあっという間でしたが、高校時代の写真を見て思ったことが一つ。
あの時代を思い返すと、当時は不満ばかり言ったり、ずいぶんとんがっていたり、すねていたりと、今から考えるとこっけいな自分を思い出します。
でも、高校生時代の写真を見ると、まぶしいほど輝いていたんですね。
み~んな。
若いってそれだけで、価値あるものなんですねぇ~。
ところで、私は、卒業時に幹事に指名されていましたが、恥ずかしながら日常の忙しさにかまけて、幹事として肝心なことは何もしていなかったのです。
だから今回が初なわけで。
ここは笑ってごまかすしかありません。[^^;; ごめんなさい
追伸
M林、M中、O橋、K木の4君にはこの場から感謝します。