いつからだったかなぁ~、北海道新聞を読み始めたのは、・・・・思い出せない。
そのくらい昔。
我が家は子供のころ貧しかったので、新聞を継続して読んでいた記憶はありません。
でも、小学校へ入る1年くらい前から、母が新聞の活字を指差してひらがなを教えてくれた記憶があります。
それは昭和30(1955)年頃の話ですから、まぁ、天文学的昔の話になるかな。
最初に覚えた文字が「の」。
次が「い」、でその次が「わ」。
で、「ゐ」ですが、これ読めますか。「い」です。
つまり、「いわゐ」なんですね。小学校へ入る1年前で、この「ゐ」が難しかった。
要するに「い」は解るのに、なぜ下の「い」が「ゐ」なのか、その理由がわからないし、「の」ともよく間違っていました。
そのあと、「ま」を覚えて、母としてはその次に「さ」「み」を覚えさせ、名前を書けるようにして小学校へ入学させたかったようです。
しかし、そのあと盲腸が手遅れになり、緊急手術で1ヶ月半入院。
あと1時間遅れたら危なかったほどの緊急入院だったことは、社会人になってから聞きましたが。
で、今でも覚えていますが、退院後ふらふらの状態で小学校1年へ入学。
つまり、私は自分の名前の「いわい まさみ」の途中「いわい ま 」までしか覚えないで小学校へ入ったのです。
私の住む地域には、当時は幼稚園なんてありませんでした。
今でも覚えていますが、小学校1年の時、10までどころか、数はぜんぜん数えられませんでしたね。
学校へ入ってみると、同じクラスの女の子が1、2、3、4、・・・・・と数えて止まりません。
担任の畑中先生が、途中で止め、「ところで、Sさん、幾つまで数えられるの」と聞いた所、ちょっと首をかしげて、「1000まで数えられます」と言ったのには、驚きました。
と、いっても一つも数えられない私は何がなんだか解らなかったのも事実が。
でも、大変なことだというのは、なんとなく解ったような気が。[^^;;