安全で安価な電気を生むと言われた原子力発電。
事故を起し、危険で高価な電気代金であると分かっても、なぜ原発を廃止しないのか。
理由が分かりました。
『電気代は高ければ高いほどいい』と、こんな人たちがいるからなんだと。
事故を起し、その保障でコストが上がったら、もっと儲かるようになっているからなんですね。
====武田邦彦氏(中部大学)のブログから
偉い人がウソをつく手口(2) 電気代が高い理由
日本の電気代は、アメリカや韓国に比べて2倍以上にもなる。
電気を作るのは、石油、石炭、ウランなどを燃やすだけだし、エネルギー価格は国際的に統一されているから、2倍以上の違いが出るはずもない。
ところが現実的には日本の電気代は高い。その理由、
1) 国民がおとなしいから、
2) マスコミが電気代の比較を報道しないから、
3) 政治家、官僚、学者が丸抱えされているから、
4) 産業界も甘い汁を吸っているから、である。
そして、政治家、官僚、学者、産業界、マスコミに電力会社から配られているお金は、私たちが乏しい財布から払っている電気代というのが哀しい。
そこで、今回は日本の電気代の高い理由を簡単に説明しておきたい。
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電気を作るには発電所がいる。そして作った電気を家庭やオフィスに送るには変電と送電が必要だ。
これらの装置を作り、それを維持するために、電力会社は重工会社、その下請け会社、保全会社に仕事を発注する。
普通なら他社との競争があるから、発注するときに「できるだけ安く」ということが第一になるが、電力の場合は競争がないから「安く買う」必要はない。
あとで説明するけれど、むしろ「高く買う」ように努力する。
電力が装置やその保全を高く買ってくれるので、重工、建設会社、保全をする会社はほくほく顔である。とにかく電力が自分の会社に発注してくれるように電力の幹部にゴマをすっておけば良い。
装置ばかりではない。
燃料になる石油、石炭、天然ガスなども良質のものを高く買えばよいので、これもみんなが協力してくれる。
電気を作るときにかかる装置代、保全代、燃料代、本社代などの合計を「コスト」という。普通なら「努力してギリギリのコストでやる」というのだが、電力の場合は、「世間的におかしくない範囲でできるだけ高いコストでやる」というのが優れた経営者となる。
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それは次のような仕組みだからだ。
1) 電力会社の儲けは、「コスト」を出して、それに10%程度の利益をのせる。だから、コストが10円と20円なら、20円の方が1円だけ儲けが多くなる(電力会社のもうけ)、
2) 電力からとる税金は電気代に比例しているので、電気代が高ければそれだけ税金が増える(官僚のもうけ)、
3) 電力会社はコストを高くしなければならないから、業者は高く納入できる(関係会社のもうけ)、
4) 電力会社が儲かれば賃金も高くなる(労働組合のもうけ)、
5) 「電力会社のコストはどの程度が適切か」と言うことを決める{政府、議員、マスコミ、学者、評論家・・・}にたっぷりとお金を回しておく(関係者のもうけ)、
6) そして、これら1)から5)のために一方的に損をしている人たち(おとなしい庶民)は高い電気代を払う・・・・
なんと哀しい現実だろう。
電力会社が役人の天下りを支援し、政治家に献金し、公共広告機構の理事長(広告の一番多い会社)が東電で、東大の学者に研究費を出すのは、もちろん、ハッキリした目的があるからだ。
政治家は電力に手も足もでない。
活動資金のもとになる献金と選挙の時の票(電力労働組合、関係会社の人の票)があるからだ。
役人も手も足もでない。
天下り先を広く準備してくれるからだ。
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かつて、これとほぼ同じことが日本の農業で起きた。米価の問題である。
自民党が農業の人の票で縛られ、米価をつり上げていったので、日本のお米の価格は国際価格の7倍にもなった。それでも「日本の米はおいしい、食料を守れ」という精神的な活動が支えになっていた。
でも、そんなことは長続きせず、農業は衰退していく。
電力もそうで、お金を配っているうちに国際的に対抗できなくなり、高い電気で企業はフーフー言い始め、工場は海外に逃げていった。
「質の良い電気を供給しているから」と当時のお米と同じ理由を全面に出している。偉い人のウソの手口というのは、複雑で一見して非常識なことで儲ける時のいいわけに優れているということでもある。
かつて、東西ドイツが統一したとき、自由経済の西ドイツのすばらしい車に対して、共産体制だった東ドイツのポンコツ車は25年遅れていると言われた。
競争のない社会で人間がいかに腐るか、その一つの例でもある。今回の福島原発も電力が競争にあれば、事故は起こらなかっただろう。
独占電力体制を守るために、いろいろな屁理屈が展開されるだろうが、東西ドイツの統一、日本の米価問題を教訓にすれば、どんな高邁な議論より競争だけで人間社会は正常になる。
(平成23年8月1日 午後5時 執筆)
(C) 2007 武田邦彦 (中部大学) 引用はご自由にどうぞ
====ここまで
武田邦彦氏のブログを、引用させていただきました。
『引用してもいいんよ』も引用、[^^;;