あれ?、なんか変だ。
違和感を感じて、もう一度玄関を入りなおした。
ん??、やっぱり何かが違う。
いつものように玄関に入っても、何かに違いを感じて注意深く見ると、あったのです。
なんと、長靴が片方ずつ違うものが揃えられていました。
私の両親はもう少しで80歳になりますが、若い頃第二次世界大戦を経験し、その後の貧しさもあってか、若い人から見ると異常なほど物を
大切にします。無駄遣いもしません。
長靴を見てください。
これは、確か5年位前に買った物です。たぶん片方は駄目になったのでしょうね。そういえば、父は長い間片方破れた長靴をはいるのを見た
記憶があります。
いよいよ駄目になって、それでも片方はまだはけると、二つを組み合わせていま使っているのでしょう。
物を大切にする両親は、どう考えてもゴミだろうと思う物まで捨てることが出来ずに、物置はもちろんのこと自分の部屋まで一杯にしてい
るのです。
早くに捨てていれば、無料だったそれらも、これからゴミとして処分しようとすると有料となってしまいました。
節約から始まった、物を大切に知る行為も、逆にお金を使うことにもなる昨今です。
しかし、ほぼ80年間掛けて作り上げた性格は、そう簡単に直るものではありません。
立ち止まって考えると、もしかしたら、もう一度節約が美徳とされる時代が来ると考えるのは私だけでしょうか。
これからの日本は、人口が減り経済が縮小するのは明らかです。そうなれば当然ながら所得は減少するでしょうね。
給料も上がらず、いままでの発想では家計も成り立たないのは明らかで、よりいっそうのやりくり上手や、物を大切にするなどの節約が中
心となるのではないでしょうか。
そう考えると、私が子供の頃行われていた、姉や兄からのお下がりを着るという時代がまた来ると思われます。
むろんそれは今の時代に合わせて、若干変化した形になるのは明らかですが、たとえば、時代の先端ともいえるヤフーオークションなどで
も、古い物は売られています。
また、地域主催のフリーマーケットも最近盛んになっているように感じます。
さすがに、片方ずつ違った長靴を履くようになるとは思いませんが、物を大切にすることが社会の常識となるでしょう。