東京大空襲

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『不動産屋のひとりごと』

東京大空襲

 今日は、東京大空襲の話にに触れないといけませんね。また、私達は、この日ぐらいは、しっかりとこの悲しい歴史を思い出して、忘れないようにしていかないといけないと思います。

 小学時代、「ガラスのうさぎ」という本を読みました。悲しかった。すごく切なかった思い出があります。

 その日は、終戦(敗戦が正しいですね)の年(1945年)の3月10日。何故、この日だったかというと、


もう一つ、記事を読んでください。


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『忘れてはならない東京大空襲 火の壁で逃げ道塞ぐ無差別爆撃』

斉喜広一2009/03/10
 3月10日は東京大空襲の日である。その日を前日に控えた産経新聞が、「東京大空襲『勝者の罪』も検証しよう」と題す社説(主張)を掲げた。

 昭和20年3月10日、米軍のB29戦略爆撃機の大編隊が、東京下町一帯に無差別爆撃を行った。一夜にして10万人が死亡したと言われる。その凄まじさは、記者も何度か、書物、テレビ等で見たことがある。木造家屋を焼夷弾で焼き尽くし、その猛烈な熱で上昇気流が起き、地上は酸欠状態になったともいう。焼死する前に、酸欠で亡くなった人も少なくない。爆撃後の写真も見たが、それは酷いものである。炭化してし黒くなった遺体が山のように積み重なった写真もある。熱風で遺体が吹き飛ばされて、折り重なったのだという。

 しかも、米軍のやり方で見過ごすことができないのは、まず、爆撃目標の周囲に焼夷弾を投下し、「火の壁」を造って逃げ道を塞いだ上で、絨毯爆撃に移っているのだ。明らかに一般市民の殺戮を狙った作戦である。歴史上これほど残忍なやり方で作戦を遂行した戦争は、少なくとも近代では他に例を見ないのではないか。

 こんにち、イスラエルによるガザへの攻撃が、無差別爆撃だとして、激しい国際世論の批判にさらされている。が、東京大空襲のようなことが、もしこんにちあったとすれば、たとえ爆撃される国にいかなる非があろうと、到底国際社会はそれを許しはしないだろう。

 同年の1月に、米極東空軍司令官が、カーチス・ルメイ少将に代わって、それまでの軍事施設対象の精密爆撃から、無差別爆撃に切り替えられた。明らかな、戦争法規違反である。

 もちろん日本もそれ以前に、中国・重慶に対して、無差別爆撃を行ってはいる。が、かりに、連合国の一員としてその報復だったとしても、あまりにも過剰に過ぎるのではないか。

 戦後、敗者である日本は、勝者である連合国によって多くの戦争犯罪者が裁かれたが、勝者自身の犯罪は、当然とはいえ、ついに裁かれることがなかった。

 今さら、アメリカに東京大空襲をはじめとする、都市への無差別爆撃、そして広島・長崎への原爆投下の責任を、日本から問うということはないだろう。しかし、歴史の事実として、いつかはアメリカ自身の手によって、総括すべき時期が来るであろうことを、期待しておきたい。少なくとも、その事実だけは、アメリカ人自身が知るべきであろう。

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このページは、岩井 政海が2009年3月10日 15:31に書いたブログ記事です。

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