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2009年3月30日

●自己紹介/岩井政海

北海道サフォーク牧場  場長013.jpg

え~っと、お初にお目にかかります、私が株式会社アイマトン/代表取締役、そして北海道サフォーク牧場、場長兼務の岩井政海です。

初めまして、といっても顔写真が初のお目見えです。

HPなどでは、水あめで作った似顔絵を顔写真代わりに掲示していますが、実物写真は初めてですね。

そして、いまさらと言われそうですが、自己紹介は初めてかな。


と、言うことでさっそく自己紹介を。


私は、1949年(昭和24年)5月23日生れで、今年3回目の成人式(還暦)をむかえます。

生れたのは北海道赤平市、幌岡小学校・中学校を卒業後、最終学歴は北海道赤平西高等学校卒業です。


小学生の頃は、学校から帰ると、父が玄関先で飼うヒヨコに「お帰り」を言われ、庭先にたむろするアヒルや七面鳥、ニワトリと遊んでいました。

5歳頃、ニワトリと.jpg

その頃の写真ですが、後ろの家を見てください。これが自宅ですから、そうとう貧しかったのが解ります。

でも、幸せなことに自分達兄弟4人はそんなこと一度も感じたことはありません。これは、父や母に今でも感謝しています。


また、毎年夏休みなると、1kほど離れた本家(父の実家)で、鬼のように恐ろしかった祖母の目を盗み、危ないから行くなと言われたちょっと大き目の川で、カジカやドジョーを取っり、ときには川原に火をおこし焼いて食べたことを、今でも懐かしく思い出します。


しかし、その川から、ある日突然ドジョウやカジカがいなくなったことがあります。

父に聞くと、上流に田圃ができ『強力な殺虫剤を使うからだ』とのこと。

父は母は、「ドジョウも死ぬような強い薬を使い作った米を、人間が食べても大丈夫なんだろうか」とも話していたのです。

その時のことが、今日のサフォークの放牧場が、化学肥料を使わないとか、農薬を使わないとかに繋がっているのです。


また、秋から冬には、茶の間の薪ストーブの上にはいつも豚の餌の鍋が乗っかって、なんとも嫌な臭いを出していましたね。

でも、これもその後の養豚業へと繋がっていくのですから、人生面白いものです。


で、高校2年(1967)の夏休みに、決断したのです、家の農業を継ぎ、当時少し飼っていたニワトリを増やして養鶏業で生活するんだと。

それから、毎年冬には裏山から落葉の木を切り出し、雪が解けたらその材料で鶏舎を建て、鶏を増やしていったのです。

20歳くらいまで、3反ばかりの田んぼと8反の畑、そして母の勤めと私の冬の出稼ぎで、一家6人が生計を立てていたのです。

そのうち、こうして建てたニワトリが増え始め、タマゴを赤平市内の商店や食堂、スーパーへ売りに行き、商いの面白さに目覚めました。

これまた、スーパーへタマゴを卸売りしながら、いつかは自分もスーパーをやってみたいと思うのですから面白いものです。


その後、1978年から養豚業も始めました。

最盛期には母豚100頭で、子豚も含めると常時1000頭はいたのではないでしょうか。


ところが、養鶏を始めた当初は山の中で何の問題も有りませんでしたが、だんだん近隣に住宅が建ち、公害問題が出るのです。

住宅地に建つ養豚場・養鶏場が、幾ら公害対策を万全にしようと、経営が成り立つとは思えません。

そんなことから廃業を決意するのです。


続く。(気が向いたら書き加えます。悪しからず、[^^;;)